Backyard Ultra Last Samurai Standing 2020 #2 実録バックヤード
Backyard Ultra Last Samurai Standingに参加させていただき、サポートし、感じたことを記憶が薄れないうちにまとめておこうと思ったブログの第2弾。
前回はどんなレースなのかを紹介させていただきました。
まだ読んでいない方は「#1どんなレース?」をご覧ください。
今回は、私のサポート記録。
私の脳内にある記憶を記録したもので、私がサポートしている小山田さんが時間経過とともに、どうなっていたか?を思い出して書いたブログである。
なので、とっても長くなるので、あしからず。
ブリーフィング 10:30am
スタッフ、選手、サポート、施設管理者、大会に関わる全てのメンバーが集まり、競技規則の説明を受ける。
この時点では、今後の展開が全く予測できず、また初対面同士が多かった為、静かな緊張感が広がっていた。
トモさんから「このレースは最後に残った人が勝ちですが、ライバルは他の選手ではなく自分自身です」とメッセージを受ける。確かにそうなのだ。誰よりも早く走ることはこのレースでは求められていない。
スタート 12:00pm
緊張感溢れるスタートだった。
どうなるのか、どうなっていくのか、想像できる人の方が少なかったと思う。
いつものレースのような、スタート時の盛り上がりは殆どなかった。それは出場者数が少なかったからではなく、とにかくみんな不安と緊張でいっぱいだったからだと思う。
1周目終了~2周目スタート 13:00pm 距離6.7㎞
「ペースが遅くて、あなたでも走れるよ」と帰ってくるなり小山田さんが言う。周りの選手からも「ペースが遅い」という言葉が聞こえる。
1周目は35分から55分の間に全選手が戻る。小山田さんは50分。
始まったばかりなので食料の補給はなく水分補給のみ。全体的に様子を見ながら走ってるという状況。
2周目終了~3周目スタート 14:00pm 距離13.4㎞
「ペースが遅いからお腹が空く」と言って帰ってくる。レースでは固形物をほぼ食べない小山田さんが固形物(ご飯)を食べたいから次の周回で用意してほしいと言う。ちょうどAnswer4のコバが応援に来てくれていて、彼からの差し入れの「蟹パン」を美味しそうに食べる。
到着の時間にはばらつきがあるが、50分以内にほぼ全員が返ってくる。
スタートラインに向かう姿にも余裕があるが、まだ緊張感がある。
3周目終了~4周目スタート 15:00pm 距離20.1㎞
ジェルではなく、固形物(ご飯)で栄養補給。
ブラジル料理「フェジョン」(豆のシチューのようなもの)にご飯を加えて食べる。
ゆっくりとしたペースに戸惑いつつ、自分のペースを探る。
少し気温が下がり始めた為、休憩時にダウンを着て体温低下を防ぐ。
4周目終了~5周目スタート 16:00pm 距離26.8㎞
全体のペースは変わらない。勿論DNFする人もいない。
スタートエリアは森に囲まれているため、日が陰り、気温もさらに下がり始める。
冷たい飲み物はやめて、飲み物は温かい物のみにする
とにかくお腹が空く様子。毎周回リアルフードを欲すると思わず、食事の用意をしていない。普段パンは食べないが、小山田さんの奥さんがサポーターの私の為に買っておいてくれたパンを渡すと「美味しい」と言って何個も食べる(ちなみにパンオショコラ)。
5周目終了~6周目スタート 17:00pm 距離33.5㎞
レースは恐ろしいほど淡々と進む。
当たり前だが弱音を吐く人間はいない。
同じところを何度も往復する為、走るところ、歩くところを、調整している時間帯だと感じる。周りの選手も、ペースがまだ安定しない様子。
その中でも一定のペースでやってくる選手が数名いる。
サポーターに話を聞くと、事前に試走をしたと教えてくれた。
試走なら他の選手もしているが、よくよく話を聞くと「24時間の試走」をしたと言う。
すでに24時間分は試走で経験済らしい。そんな猛者たちと共にレースに出ているのかと思うと、サポーターの私も少し弱気になる。
日が落ちる事を想定して、選手達はヘッドライトを付けてスタートする。
いよいよ夜がやってくる。何が起こるかわからず、正直不安でたまらない。
6周目終了~7周目スタート 18:00pm 距離40.2㎞
ほぼフルマラソンの距離終了。日が落ち真っ暗に。痛みはないが、筋肉の張りを抑えるために小山田さんはストレッチを始める。痛みが出始める前に、少しずつほぐしていく。サポート側もまだリズムがつかめずに慌ただしさがある。
昼間は沢山いた応援の人達はほぼいなくなり、ベースエリアは静かになった。あまりにも淡々と進む選手の様子に「誰が一番最初に脱落するのか」と不安が混じる緊張感が広がってるように感じた。
7周目終了~8周目スタート 19:00pm 距離46.9㎞
サポート側は寒く、外で準備を整えることが厳しくなり、ベース施設2階の談話室とキッチンを使い待機する。キッチンには電子レンジもポットもありサポートの手間が減りありがたい。温かいストーブの存在にも救われる。
この談話室は温かいだけでなく、サポーター同士の交流が持て、つかの間の癒しエリアとなった。
小山田さんと、固形物の補給は3周に1度ぐらいという話をしていたので、温かく消化しやすいスープを作るが、食欲が少し落ちてきたと感じる。
このあたりまで49分から50分で戻ってくるペース。
寒さ対策の為、すべてのウェアを着替え、ロングパンツに変える。
体力温存の為、3分程度仮眠。実際は寒さもあり寝てはいないが、目を閉じて休む。
8周目終了~9周目スタート 20:00pm 距離53.6㎞
ほぼ変わらない48分前後のペースで戻る。お腹の調子がいまいちで、下し気味だという。
実はレースの前から胃腸の調子が悪く、レース1日前はほぼ食事がとれない状態だった。エネルギーがたまっていない状況で長い距離を走り、また胃腸に負担をかけているのだから下痢になるのは当たり前のことだった。
下痢が続くとエネルギーが効率よく回らないので、1度固形物は避けて、温かい飲み物でエネルギーをとるように、ナッティーハニージェルをお湯に溶かして飲むのみ。
4分程度の仮眠。笛の音で起きるが、お腹の調子が悪いせいか、あまり元気がない。
いつも100mileを走る際、70㎞すぎるまであまり調子が出ないので、徐々に調子が上がるはずだと励まし合って進む。
周りはまだ元気そうで、それもまた不安になる。
下痢はエネルギーを消耗するだけでなく、脱水症状も引き起こす可能性もある為、ジェルをお湯で薄めた物をボトルに入れて持参しスタートする。
9周目終了~10周目スタート 21:00pm 距離60.3㎞
周囲は真っ暗だが、きれいな満月が現れ、明るい夜。
速い人は35分前後、遅い人でも53分ごろには全員戻り、誰もやめる様子がないどころか、元気がないのは小山田さんだけなんじゃないか?と思うぐらい元気。お腹を下してトイレに行く為、ペースを上げなければならずそれが負担だと言う。確かに1時間しかない中、トイレの時間ですら削りたい。エイド滞在時間は約10分。到着しすぐ仮眠、5分後に起きナッティハニーのお湯割りを飲み進む。
10周目終了~11周目スタート 22:00pm 距離67㎞
下痢で途中トイレに寄る為、到着が遅れるのでは?と心配していたが、これまでと変わらぬ49分ペースで戻る。
前の周回より元気そうなので、前もって作っておいたうどんを食べる。
エネルギーはジェルでとれているが、寒さから身を守るには食べて体を温めた方が良い。
少しでも食べられてよかったが、本人は食べたら下痢になるのではと不安がっている。
まだ誰もあきらめることなく、レースは淡々と進む。
11周目終了~12周目スタート 23:00pm 距離73.7㎞
11周目にスタートしなかった選手が現れた。最初の脱落者が生まれたことになる。
22時半を過ぎた頃から、これまでの寒さからさらにもう1段階気温が下がった。
サポート側にも少しずつ仮眠をとる人が増えてきた。
私は小山田さんの体調が気になり、エイド提供するものが決まらず、気持ちばかり焦っていた。
いつもより3分以上遅れて小山田さんが戻ってくる。やはり下痢で途中思うように動けない時間があったらしい。温かい飲み物、ジェルで下痢が治まるのを信じるしかない。
12周終了~13周目スタート 24:00am 距離80.4㎞
ペースはいつもより早い48分。調子がいいのか?と思ったら逆で、ベースエリアに帰ってすぐ、トイレへ向かう。
ベースエリアのトイレは靴を脱いで室内に上がらねばならず、移動、シューズの脱着等時間がかかり、スタートに間に合うのかハラハラする。
調子は悪いが、ここで終わるほどではないはずと信じサポートの私は気にしないよう準備を進める。
これまで椅子で休んでいたが、胃腸を休め、血流を促す為、マットを敷いて横になってもらう。
たった3分程度だが、少しでも回復してくれることを祈る。
朝日が出るまでまだ6時間もある。この夜が山場かもしれないと思う。
それなのに、周りの選手が元気そうで、それがまた更に気持ちを落ち込ませる。
13周目終了~14周目スタート 1:00am 距離87.1㎞
2人目のリタイア者が生まれた。
確かにこの寒さ、そして休む間もなく進むレース、じわじわと体力を奪い、じわじわと疲労がたまり、元気そうに見えた周りの選手も「痛み」をサポートに打ち明けていることを、サポート同士の会話で知る。
傍から見れば元気そうに見える選手たちも、身内のサポートには「苦痛」を漏らしている事実を知りほっとする。サポート側も眠気や疲労が深まる。
買い出しなどで気晴らしできればいいのだが、そういった行為は禁止されている為、何時間も同じ場所に待機している事に少しストレスを感じ始める。
47分。また少し早いペースで戻ってきた為、まだ調子が悪いのか?と不安になるが、戻ってきた小山田さんが笑っていて少し安心する。
元気にトモさんと冗談を言い合っている。
横になって休んだ事が良かった気がすると言う。ペットボトルで簡易用の湯たんぽを作り、毛布に包まり横になる。でも、その時間も3分程度。3分前のスタートの笛の音の感覚がどんどん短くなってきたような気がする。
14周目終了~15周目スタート 2:00am 93.8㎞
周りの選手から「食べれない」「痛みが治まらない」「眠気がひどい」など様々な不調が聞こえる。それでもやめる様子はなく、再スタートの準備を続けている。
寒さがさらにもう1段階上がった。小山田さんの腹痛はまだ治まらない。むしろまた調子が悪くなったようだ。疲労、冷えだけでなく、食料(固形物)をしっかりとっていないから下してしまうのは当たり前のことだよと励ますのが精いっぱい。
笛が鳴り、スタートしていく選手は、距離を重ねた疲労と、休憩時の冷えで、筋肉が固まり、まるでロボットのようなぎこちない動きでスタートしていった。
15周目終了~16周目スタート 3:00am 距離100.5㎞
100㎞を越えてもなお、14名が走り続けている。小山田さんの体調も悪いまま現状維持。
良くなることは無いが、更に悪くなったわけでもない。であれば、同じことを繰り返して進むしかない。温かい飲み物、スープ、横になって休む。小山田さんが寝ている間に私は次に進むための準備をする。会話なんてほとんどない。とにかく今は耐えることしかできない。
16周目終了~17周目スタート 4:00am 距離107.2㎞
3人目のリタイア者が出た。
もう4時間以上前から胃腸が悪く、補給が出来ないとサポートが悩んでいた。その悩みをみんなで聞いてアドバイスをしあっていただけに、リタイアが自分のことのように切なかった。
小山田さんにとっていつも朝4時は鬼門。眠気も疲労もピークに達し、いつものMUJIN100なら1時間程度睡眠を取る。でも今日はBackyard。1時間寝かせてあげることはできない。
かわいそうだなと思いながら、笛が鳴る前に起こし、ジェルを渡す。
あと2時間で太陽が出てくるよ。そんな言葉ぐらいしか出ない。スタート直前にお腹が痛くなり、苦痛で顔をゆがめる。やばいやばいと脇腹を抑える。スタート2分前の笛が鳴っている。それでも腹痛で動けない。1分前の笛が鳴る。何とか立ち上がり、スタートラインに向かい、苦痛に顔をゆがめたままスタートした。
17周目終了~18周目スタート 5:00am 距離114㎞
また1段階寒くなった。ここで4人目のリタイア者が出る。
これだけ長く一緒に戦った仲間が減るのは切なく、寂しい。でも共に悲しんでいる時間はない。なぜならサポートも1時間に1度必ずやらねばならないから。
準備していたドリンクがコップの中で凍っている。
手が寒くて、ホッカイロをポケットに入れて常に温めていないと、準備もうまくできない。
小山田さんの体調は現状維持。決して良くはない。眠気だって相当ひどい。とにかく時間が許す限り横になってもらう。出来る限り体を温めるために、車の中を温めてその中で寝てもらう。
車まで動くの正直おっくうで面倒だと思うが、これ以上冷やさない、悪くしないためには仕方ない。
それに、車に入ることで、周りの音から少し遮断できる。自分が調子が悪い時ちょっとしたことが更に鬱にさせることがある為、それを避けたかった。
小山田さんを車に押し込んで、その間私は準備を進める。
周りの選手もサポートに足や腰をマッサージしてもらっている選手が増えた。
みんな一番きつい時間。きつくない選手なんていない。
でもスタートラインに立つ選手はみんな「何も問題ない」ような顔をしている。みんな自分と共に戦う選手たちに弱さをみせないよう、必死なんだと思った。
18周目スタートの合図直前に1人の選手が17周目終了に向けて戻ってくる。18周目スタートまで1分を切った時間だったので、休憩も取れず、補給食と飲み物だけサポートから受け取り、18周目のスタートに並び出て行った。その姿を見て皆目頭が熱くなる。
18周目終了~19周目スタート 6:00am 距離120.7㎞
夏ならすでに明るくなる時間だが、2月はまだ真っ暗。
じわじわとタイムが遅れ、制限時間ギリギリの選手が生まれる中で、小山田さんは変わらず50分で戻ってくる。
今回も無事でよかったと思いつつも、余裕のない表情を見て、また車に押し込んで休ませる。
下痢や冷えからしばらく固形物は食べていない。
スタート前に用意していた食べ物や飲み物はほとんど手を付けていない。
温かい飲み物以外受け付けない。だからこそ、ナッティハニージェルは重宝した。
お湯に溶かせば甘く、少し入っているショウガが胃を中から温めてくれる。固形物は食べられないがジェルでしっかり補給できているから大丈夫と励ます。
ここで小山田さんはシューズを変える。もともとクッション性が高いPARADIGMを履いていたが、更にクッション性、サポート力の高いOLYMPUSに変更する。
シューズを履き替えるとき「これでなんとかなって欲しいんだけど」と小山田さんがつぶやく。
もうかなり前から足に痛みが来ていた。
18周目スタートぎりぎりに戻ってきた選手が、また19周目スタートぎりぎりに戻ってくる。今度は10秒前に到着し、またサポートからジェルだけ受け取り19周目に出て行った。もう根性だけで続けている。それが伝わり、その場にいた全員で拍手を送り、見送る。
19周目終了~20周目スタート 7:00am 距離127.4㎞
5人目のリタイア者が出る。
さっきぎりぎりに出た選手が、1時間以内に戻ってこれなかったのだ。時間を越えて戻ってくる彼にスタッフとサポーターは拍手で出迎えた。
太陽が昇り、すっかりあたりが明るくなった。明るくなったことにより、見えやすくなったこと、そして少し暖かくなったこと、なにより太陽の光が小山田さんの背中を押してくれた。
そしてシューズ変更したことにより、足の痛みにも少し変化があったようで、安心した。
気温はまだ低いが、夜が明けたことで、選手にもサポーターにも安堵感が広がった。
小山田さんは相変わらず固形は食べず、ジェル等の補給食のみ。ただ、倒れこむように休んでいた前の周回と変わり、座って落ち着いて、話が出来るようになったことで、サポーターの私の気持ちが落ち着いた。
20周目終了~21周目スタート 8:00am 距離:134.1㎞
21周目スタートギリギリで戻る選手がまた出てくる。
舗装路が多いコースで、また同じ道を何度も往復する為、筋肉疲労が分散されず、その為故障が生まれる選手が多い。足を引きずって帰ってくる選手も何人かいた。
気温がほんの少しだが上がってきた。そのおかげもあって、小山田さんにも少し余裕が出てきた。冗談を言い合えるし、周りの呼びかけにも笑顔で答えている。1つの大きな峠が去ったと感じた。それを感じたのは、スタートラインに並ぶ小山田さんの姿。
これまで、1列目に並ぶことは無く、真ん中より後ろに並ぶことが多かった。
それが、今回は1列目に並んでいた。体は疲れと痛みでいっぱいだけど、気持ちが前に向かって進んでいるんだなと感じた。
21周目終了~22周目スタート 9:00am 距離:140.8㎞
周回ぎりぎりにスタートした選手がまた1人リタイアした。これで6人目。
悔しくて、泣きながら、すべてを出し切って戻ってきた。頑張っていたことがわかるだけに、自分のことのように、切なくなる。
小山田さんは予想通り、笑顔で到着した。そして「お腹が空いた」と言った。
胃腸が動いてきた証拠で、嬉しかった。
もしかして食べると言うかもしれないと、前に作っておいたうどんを出そうとしたら
「フェジョンが食べたい」と言う。ここにきて、そんなに食べられるほど元気なのが驚きだった。すぐにエネルギーに代わるわけではないが、好きなものを食べると元気になるのは明らかだ。すぐに温めなおし、提供する。
相変わらず50分前後で到着してくれるので、休憩には8分使える。
しかし、その間にしたいこと、しなければいけないことが沢山ある。
それでも、冗談を言い合いながら休憩できることに、心からほっとした。
辛いときほど、楽しく笑い合ってる方が、お互い元気になる。
22周目終了~23周目スタート 10:00am 距離147.5㎞
気温が上がってきたため、着替えを行う。その時間も考慮してか、いつもより2分も早いペースで戻ってきた。
インサレーションジャケットを脱ぎ、パワーグリッドとショートパンツに変える。スタッフや周りの人と笑顔で会話をし、固形の食事もとるようになった。
固形の食事は相変わらずフェジョン。これが調子が良いから、調子が良いときはそのまま続けたいと言う。とにかく食べられるというのは良い事だ。
どこか痛い所はないか?と確認すると、どこもかしこも痛いと言う。それでも穏やかな雰囲気なのは、あともう少しで100mileに到達するからだと感じた。
やはり100mileは1つの区切りだった。最後まで生き残れないとしても、せめて100mileは達成したいと思っていた。しかし、序盤に体調を崩し、いつリタイアしてもおかしくないと覚悟を決めていた為、正直ここまで行けるとは思っていなかった。
24時間で100mileというのは、簡単なことではない。ましてや自分の好きなペースで走れるわけでもない。
だからこそ、100mileがようやく現実のものとして近づいたことに、精神的な落ち着きが生まれ、穏やかな気持ちになれたのだと思う。
23周目終了~24周目スタート 11:00am 距離:154.2km
このあたりから小山田さんのペースが1周51分に固定されてくる。
ということは、休憩時間として使えるのは9分弱ということになる。
会場にはまた応援の人が増えてきた。1時間に1度ベースに戻ってくるから、応援する人はその時間に合わせてやってくる。サポーターもレースが続く限りベースから離れられないから、人が来てくれるのは気分転換にもなるし、話が出来て嬉しい。ランナーとサポーター間の会話はほとんどない。そもそも会える時間が1時間に10分もないのだ。
小山田さんは夜に抱えていた眠気は完全になくなり、下痢もほぼ収まったようだった。
長時間長距離走っているから、筋肉疲労はかなり激しいようだが、それは当たり前。
「故障」というような痛みが無いことが、救いだった。
次の周回でようやく100mile達成。
スタートの時の「この先どうなるんだろう」という思い雰囲気と違い「ここまでやってきた」という自信と安心感からか、これまでで1番穏やかな雰囲気で24周目に向かっていった。
24周目終了~25周目スタート 0:00pm 距離:160.9㎞
10名の選手が100mileを達成して戻ってきた。
中には初めての100mileという選手もいた。
きっちり50分で帰ってきた小山田さんも笑顔だった。冷たい物はあまり好んで飲まなかったが、さっぱりしたものが飲みたいと言い、用意していたレッドブルやコーラを口にした。
普段の100mileではあまり食べないもや飲まないものを欲する。
「ペースが全く違う」というのがその理由だと思うが、 好みが変わっても、 途中で買い出しが出来ない分、欲しいと言われたものが用意できない。それがサポーターとして申し訳ないと思う。
スタート前にトモさんからBackyard Ultraシリーズで、このレースが100mileまで残る選手の確率が最も多いレースとして認められたと伝えられた。他国で開催しているBackyardでは、100mileまで残る選手はもっとずっと低い確率だそうだ。
そんな嬉しい情報を聞きながら、10人はまた走り出した。その走り出す姿は、どの周回より軽く、スタートの時より和やかな雰囲気だった。
25周目終了~26周目スタート 13:00pm 距離:167.6㎞
26周目に出て行ったときは元気だったけど、そうは言っても疲れの色は濃い。
そんな中、トップで帰ってくる4人が、それまでのペースと全く変わらず、淡々と戻ってくる姿がとにかく印象的だった。
100mileは普段ならゴールだが、今回は単なる通過点に過ぎない。わかっていたけど、それを痛感したのは、この26周目に向かった後だった。
すでに限界に達してる選手は何人かいる。その中には小山田さんも含まれている。
でも全く変わらず淡々と続けている人もいる。このレースの終わりが全く想像できず、恐ろしいとさえ思った。
眠気なく、食欲もしっかりあり、精神面も安定していると思っていたが、26周目に出発する直前に「もう間に合わないと思うけど、ごめんね」と言われた。
もう、1時間以内で戻れないという意味だった。
つい1時間前は、疲れているけど元気そうだったのに、ここまで限界に来ていたのかと驚く。
ただ、私も、もう一度夜をむかえられるのか?という不安を感じていた。
それは、小山田さんが越えられるのか?という不安だけではなく、私自身サポートを続けられるのだろうか?という不安だった。実際ここまで私も寝ていない。私の眠気も疲労もかなり強くなっていた。
「もう100mile走ったんだからやめない?」と悪魔の囁きをしたい気持ちをぐっと抑え、行ってらっしゃいと送り出す。
26周目終了~27周目スタート 14:00pm 距離:174.3㎞
1人の選手が26周目に間に合わずリタイアとなり9名となった。
「もう間に合わない」とつぶやいた小山田さんだったが、いつもと変わらない51分で戻ってきた。それでもやはり、もう限界だと言い、確かに少しずつ終わりに向かっていることは分かった。
どこかが明らかに故障しているとか、具合が悪いとかではなく、もうとにかく体力、精神力共に限界が近づいてきていると感じた。
まだ前を向いて戦っている選手と、徐々に終わりに向う選手が目に見えてわかる状態だった。残念ながら小山田さんは後者だった。
フェジョンを食べるから用意しておいてと前の周回の出発の時言っていたのに、戻ってきたときには「食べたくない」と言う。
もう疲労で食欲が湧かないのだ。
それでも、応援に来てくれた人の力もあって、立ち上がる。
私が寝ていなくて大変だろうからとAnswer4のコバが来てくれたり、山梨から応援にボンノーさんが来てくれた。
二人が来てくれたことで、疲れ果てていた小山田さんに笑顔が戻った。やっぱり応援してくれる人がいるというのは元気になる。気持ちのリフレッシュが出来る。
残っている選手は、スタートラインに立っている姿はさわやかだが、動き出すとガタガタカクカクとした動きで、動きは機械のよう。
「イタタタ・・・」といううめき声があちこちから聞こえ、歯を食いしばってスタートしていく。
27周目終了~28周目スタート 15:00pm 距離:181km
また1人の選手が27周目に間に合わずリタイアとなり、残り8名となった。
間に合わなかった選手は、もともと友達だったというだけでなく、ほぼ小山田さんと同じペースで走っていたし、サポートエリアも隣同士だったから27周目に戻ってこないのがわかっていて、とても心配していた。
戻ってきて欲しいと願いつつも、私たちも準備を進めなければならない。
小山田さんは変わらず51分で戻ってくる。ペースが変わらないので大丈夫なのかな?と思っていたが「もう限界だ」とまた口にする。それが本音だろう。
食欲はないが、ジェルを何とか口に入れる。なんとかエネルギーを取ろうとしている姿からは、「限界」とつぶやくが、「まだ進みたい」という気持ちの表れだと思った。
だから私も「辞めよう」とは言わない。
水分はしっかりとれているし、ジェルで栄養は取れている。だから大丈夫だよと伝える。
ただ体力と共に精神力が弱くなっていた。自分はこんなに辛いのに、残っている選手のペースは相変わらず変わらず、力強く走っている。その姿を見てどんどん心が蝕まれていく。敵は自分自身とわかっていても、他の選手の様子は気になる。
100mileを越えた後、何か目指すものが無いとこれ以上続けていくのは難しいかもしれない。そう思った。
もうやめたい気持ちの方が大きかったと思うが、28周目のスタートは仲間の応援に背中を押され出発した。
28周目終了~29周目スタート 16:00pm 距離:187.7㎞
28周目に出発したはずの選手が1人途中で戻ってきた。もう限界だとリタイアをした。
これで29周目を走る準備をしているのは残り7名。
「もう限界」と言っていたのが、今度こそ本当だと分かるほど、最後の力を振り絞って小山田さんが帰ってきた。サポートエリアまでは少し登り坂になっているが、それを登ることすらキツイという表情だった。
それでも戻ってきた時間はこれまでと変わらない51分。だからまだ限界のその先があるのでは?とかすかな望みをかけて励ます。それでもとにかく休みたいと椅子に座って目を閉じる。大丈夫だからなんとか行こうと声をかけて起こす。
9分も余裕をもって帰ってきているということは、もう1周頑張れるはずだと思った。
私の呼びかけとスタート3分前の笛の音で目を開け、椅子から立ち上がるが、なかなかスタートラインに並びたがらない。
「もう限界なんだよ、お腹も痛いし」
「お腹はもう昨日から痛いから今に始まったことじゃないよ」
「足だって痛い」
「みんな足痛いって言ってるよ」
「つらい」
「これだけ走れば辛いにきまってるよ」
ネガティブな発言を、あえて気にしないように流す返事をする。もしかしたらまだもう少し頑張れるかもしれないと思ったから。
でも帰ってきた言葉は
「本当に行かなきゃダメかなぁ?」という、弱弱しい言葉だった。
あぁ、もう本当にこれで限界なんだなと思った。
だから「それは私が決められないよ」と返事をした。
きっと「もう、ここでやめよう」と言っても、彼は辞めなかったと思うが、私のその返事に、すこし悲しそうな顔をしていた。
その時、スタート1分前の笛が鳴る。少し覚悟したような顔で、29周目に向かった。
29周目終了 そしてDNF 17:00pm 距離194.4㎞
もしかしたら、もう一回復活するかもしれない。という淡い期待は今回はもう通用しないということがわかっていた。むしろ、もしこれ以上進むと本人が言ったら「やめましょう」と説得しようと思っていた。
それでも、1時間以内に帰ってこないと、29周目が無効になってしまう。あんなにヘロヘロになりながらもスタートした周回だから、この周回せめて成立させてあげたい。間に合わずに終わるなんてことが無いようにと祈るような思いで待つ。
いつも到着する51分からどんどん時間が過ぎ、58分を過ぎたころようやく姿が見えた。
すでにスタートラインには、30周目に向かう選手が並んでる。残り1分を切り、45秒前に到着する。「どうする?いく?」と確認すると「もう・・・」と返事が返ってきた。
その瞬間、30周へ向かうスタートの笛が鳴り、小山田さんのBackyard Ultra Last Samurai Standingは終了した。