山の厳しさから得られる達成感
山に全く登らない人に「なぜ山に登るのですか?」と聞かれると、私はいつもこう答えます。「山頂から見る絶景がたまらないんですよね!」と。
しかし相手はこう返してきます。「でも山登りって大変なんですよね?なぜそこまで苦しい思いをして登るのですか?」と。
私はこれまで登った世界各国の絶景写真を見せながら、「達成感ですかね!苦しい思いをして登った後の達成感がたまらないんですよね!」と言うと、多くの方が私が山に登ることへの理解を示してくれます。
山登りに関わらず趣味や仕事でも言えることだと思いますが、何事もするにも達成感が重要だと私は感じています。なぜなら達成感が自身の成長につながること、また仕事やプライベートにおいて良い方向に影響を及ぼしていると私自身実感しているからです。
しかしながら、達成感というのはそう簡単に得ることができません。ある一定の努力を積み重ね、未経験なことにチャレンジすることが必須条件になると思います。
また、同じチャレンジを何度も繰り返しても、得られる達成感は同じかというと私はそうではないと思います。例えば、初めてのフルマラソンと10回目のフルマラソンの完走時の達成感を比べると、前者の達成感の方が大きいことはマラソン経験者であれば分かると思います。
達成感に加えて、記憶の面においても同じことが言えると思います。初めてのフルマラソンの方が記憶として頭の中に鮮明に残っているという方が多いのではないかと思います。
何事もすることにも、自身が経験したことのないことにチャレンジすること、もしくは自分のレベルを超える困難なことにチャレンジすることを私はとても大切にしています。
きっかけは富士登山競走
この価値観を持つようになったきっかけは富士登山競走でした。その当時はまだトレイルランの経験が浅く、山頂コースを100%完走できる自信がありませんでした。
難易度も高く関門時間も厳しいこのレース、完走をする確度を高めるべく、6〜7月はほぼ毎週富士山に通い、多くのシミュレーションを重ね万全の準備を行いました。その結果、事前に決めてた戦術がレース本番で上手くはまり、無事に完走することができました。
過去に何度も富士山に登頂したことがありますが、富士登山競走で登頂したときの達成感は、今でも忘れることがありません。また、他のレースで完走した時の達成感と比べても、はるかに富士登山競走で完走したときの達成感の方が何倍も大きく感じました。
難易度の高いレースを追求する
この完走を境にして、レースにおいてタイムや順位にはあまりこだわらず、自分にとってより難易度の高いレースに挑むようになりました。
私が海外レースに注力している理由は、難易度の高いレースが日本ではあまり開催されないことも一つとしてあります。
ここ数年は、ヨーロッパアルプスを中心に標高3000m級のレースに出ていますが、世界全体を俯瞰すると難易度の高いレースはまだまだたくさんあります。
いくつか挙げると、欧州最高峰エルブレスの標高3000mの麓を走るレース、チベット高原で標高4000mを走るレース、アンデス山脈で5000mを走るレースなどあります。
このように世界にはまだまだ難易度の高いレースが数多く存在するため、近い将来にはこれらのレースへの挑戦も視野に入れています。
達成感は登山からも
達成感はレースだけからしか得られないのかというと、私はそうではないと思います。冒頭お話した通り、普段の山登りにおいても険しい山道を登って登頂した際も、達成感は得られると思います。
また、山によって難易度や特徴や個性が異なるため、それぞれの山によって登った後の達成感も異なると思います。例えば、同じ北アルプスでも剱岳と立山では山の特徴は全く異なるため、違った達成感を感じると思います。
海外でも同様のことが言えます。同じヨーロッパアルプスでもUTMBが開催されるモンブラン周辺の山塊、モンブランの東部に位置するマッターホルンやアイガー周辺の山塊、さらに国境を越えてオーストリアなどの東ヨーロッパの山塊を比べてみても、実際に登ってみましたがそれぞれ個性があって特徴のある山だなと肌で感じました。
国内外ともにレースではピークを踏むことが少ない一方で、麓や峠を走ることが多いと思います。その意味でレースというのは、山の厳しさというよりレースにおける過酷さ、厳しさを感じる割合が高い印象ではないかと思います。
本当の意味で山の厳しさを得ることも私は大切にしているため、私は海外に行った時はレース前になるべくその地域の山に登ることも心がけています。
今年はコロナの影響で標高の高い富士山などに登る機会がありませんでしたが、コロナの状況をみつつ今後も達成感を得るべく難易度の高い山にチャレンジできればと思います。