ゴールの作法(一部修正して再掲載)
Run boys! Run girls! 店主桑原です。
7/3に掲載した『ゴールの作法』(文責:松井)というブログについて、一旦削除しましたが、一部修正の上再掲載します。
掲載→削除→修正版再掲載 に至る経緯は以下です。
当初本記事では、KOUMIのレースにおいて、先行してゴールしたランナー、その方のゴールを待ってゴールしたランナーの二人が登場していました。松井としてはどちらのゴールも感動したと表現していて、誰かを非難する意図はなかったのですが、先行ランナーが後続ランナーに配慮していない様に受け取られ、そのことがSNSでマナー違反の様に語られている点について、先行ランナーのご友人からご指摘(本記事の削除または文章の修正のご依頼も含む)をいただきました。
その時点まで、本記事での考えや表現について様々なご意見や議論がありましたが、議論の元となる本記事を削除することは考えていませんでした。しかし、我々に対してではなく、ブログの登場ランナーに対して事実誤認(そもそもとして、松井において先行ランナーがマナー違反をしていたという認識は一切ありませんし、うかがったところによると、先行ランナーとその方を待った後続ランナーは、それぞれのゴールの仕方について事前に会話をしていたそうです)で批判が及ぶことは本意ではなく、今後記事が拡散する上で、先行ランナーの方が更にその様に受け取られることを避けるため、ブログの文章を削除しました。我々の表現がきっかけで批判が及んでしまった方に対しては、改めてお詫び申し上げます。
一方で、本記事で広がった議論に対して、発信元のRun boys! Run girls!として見解を示す必要もあり、その中で発端となったブログがの不在という状態では、追加の議論がしづらいという状況もあったので、記事の削除/修正依頼を頂いた方に改めて相談をさせていただき、誤解を招いた部分を削除する形でブログを再掲載することでご承諾をいただきました。
以上が、ブログの削除から再掲載に至る経緯です。また、本記事に関してはこれそのものがRun boys! Run girls!及び松井の本意というわけではなく、フォローの記事が存在します。本記事は一連の議論の発端という位置づけでお読みいただき、フォロー記事も併せて読んでいけるとありがたいなと思います。
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色々な価値観を尊重するということ〜『ゴールの作法』の反響から考える(前編)
───── ここから「ゴールの作法(文責:松井)」 ─────
以前、海外レースでのサポート経験が豊富なハチミツおじさんこと、VESPAの齋藤通生さんと某レースのゴールで到着する選手を待っていた。
そのレースは国内ではとてもメジャーレースで、エントリーは常に瞬殺。
距離も長く、エントリー条件もあり、エントリーフィーも高い為、トレラン経験者が多いレースだった。
ゴールしてくる選手の仕方は本当に様々だった。
これまでの道のりを思いじっくりと噛み締めながら歩いてゴールする人
ゴールで待ってる仲間と手を繋いでゴールする人
ゴール後にコースに向かって一礼する人
最後の1秒まで絞り出して駆け抜けてゴールする人
そのゴールのどれもが素晴らしく感動的で、この長い道のりのドラマを想像し、見知らぬ相手に目頭が熱く熱くなったりもした。
そんな感動的なゴールシーンでもう1つ感じたことがあった。
レースに向かうモチベーションはそれぞれで、ライバルとの戦いだったり、自分自身の戦いだったりあるだろう。
でも、それぞれがトレイルランニングを精一杯楽しんだ中で、ゴールは少しでも余韻に浸らせてあげたいという思いだった。
うまく説明できないモヤッとした気持ちを齋藤さんに伝えると、こんな返事が返ってきた。
『海外レースの大半は、ゴールゲートが見えたら前の選手は抜かないんだよ。自分のゴールだけでなく、同じレースを走っている仲間の完走も喜び、敬意を払ってるから。ゴールゲートが見えるまでは必死に追いかけるけど、ゴールゲートが見えたらお互いのゴールの感動を邪魔しないように、ゆったりとゴールするんだよ』
と。
そう、私が感じてしまった違和感とは、前を走る選手が今まさにゴールテープを切ろうとしている瞬間に、後ろから猛烈ダッシュしてきた選手がゴールテープを切る、その姿だった。
もちろん選手同士が『出し切ろう!』というような話をして、最後まで切磋琢磨してゴールするようなシーンもあるので一概に言えない。
でもその場合は、ゴール後に2人は握手し、お互いの健闘を称えあっているから、そのレースの思い出は『ゴールまで一緒に戦えて楽しかった』だろう。
でもそうではない場合、後ろから追い抜いた人は『最後の最後まで諦めなかったから順位が上がった!タイムが縮められた』という喜びがあるだろうが、目の前のゴールテープを直前で他の選手に切られた人は少し悲しい思い出となるのではないか。
きっと誰しも『理想のゴール』を一度は思い描いて走ってきたはずだから。
もちろん最後まで出し切るのも素晴らしいこと。
だからこそ、ゴールの仕方は難しいとその時感じた。
そんな思いで2年ぐらい経っただろうか?
2018年のKOUMI100で、私は理想のゴールを目の当たりにした。
KOUMI100は約30kmを5周もするとんでもないレースで、しかも2018年はその年に起きた台風の影響もあり、1周が37kmになった事を出走直前に知る(むしろ走って初めて知った)レースだった。
180kmにもなってしまうレース。
距離だけでもキツイのに、周回レースは何度も同じ場所を通り、ゴール会場に何度も戻ってこれる為、メンタルもかなりやられてしまう。
3周目あたりからどんどんリタイア者が増え、5周目のゴールを迎える選手の姿を多くの拍手で迎える。
このレースのキツさが想像できるからこそ、ゴールシーンはまるで勇者が帰ってきたかのような感動がある。
<< 原文一部削除 >>
彼が見知らぬ相手であっても、共にそのレースを走ってきた相手を尊敬し、喜びを分かち合う素晴らしさを知っているからこそ出来る姿なんだと感じた。
レースに対する思いは人それぞれだから、正しいゴールの仕方なんてきっとない。
でも私は、同じレースに出ていた仲間のゴールを共に喜べる、そんなゴールの仕方をしたいと心から思った。
1秒を削るなら、ゴール前じゃなくてもいい。
もちろん自分1人ならどんなゴールだっていいだろう。でも、もしそうじゃないなら少し考えて欲しい。
先日、自分が主催しているレースで、ゴールテープを叩いて入ってくる選手を見た。
何に不満があったのかはわからない。
大会への不満なのか、自身の成績に対するものなのか、もしかしたら不満はなくそれがその人のスタイルだったのかもしれない。
でも、きっとゴールは笑顔の方がいい。
不満をゴールテープやゴールで待っているスタッフにぶつけても、きっと誰も幸せな気持ちにはなれないから。
登山道を走るマナーは広く広がり、守ろうと努力するランナーが増えてきた。
ならば次の一歩。
自分にとっても、同じレースを走った仲間にとっても『幸せなゴール』の作法ってなんだろう?
そんなことを考えられるランナーが1人でも増えてくれたら嬉しい。
───── 「ゴールの作法」ここまで ─────
本記事は一連の議論の発端であり、ここで述べられている内容が松井及びRBRGの最終的な意見ではありません。以下のフォロー記事も併せて読んでいけるとありがたいです。(桑原)
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色々な価値観を尊重するということ〜『ゴールの作法』の反響から考える(前編)