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2019年9月20日

クワバラ

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色々な価値観を尊重するということ〜『ゴールの作法』の反響から考える(後編)

前編からかなり間が空いてしまいましたが、『ゴールの作法』の反響から考えるブログの後編です。

ゴールの作法(一部修正して再掲載)

ゴールの作法(一部修正して再掲載)

色々な価値観を尊重するということ〜『ゴールの作法』の反響から考える(前編)

色々な価値観を尊重するということ〜『ゴールの作法』の反響から考える(前編)

ここまでの流れ

ここまでの流れを簡単に振り返ります。

まず、7/3に『ゴールの作法』という記事をアップしました。「どんな人にも理想のゴールがあるはずだし、そこにチャレンジしてクリアしてゴールテープを切る際に同じレースを走った仲間を尊重し合えたらいいね」という想いで書かれたこの記事は、「作法」という言葉を使ったことや、文章構成などから、色々な価値観を認めるという元々の意図とは逆に、ゴールは譲ることが美徳と言うようにも読めてしまう記事でした。

そのことに対して様々な反響を頂いたので、本当はどの様な事を伝えたかったのか、どうして意図と違う表現になってしまったのか、またその反響をいただく過程で見えたことがあったので、それらを伝えておくべきだと思いフォローブログを書きました。

フォローは一本の記事にまとめたかったのですが、かなり長い内容になってしまったので、「どの様な事を伝えたかったのか、どうして意図と違う表現になってしまったのか」を前編、「反響をいただく過程で見えたこと」を後編としました。そしてこのブログがその後編に当たります。今回は前編よりもさらに死ぬほど長いですが(できるだけ多くの方に伝えたいという最大公約数的な考え方で書いています)、ご興味ある方はお付き合いください。

前編は、『ゴールの作法』を書いたスタッフ松井はどういう意図だったかをフォローする視点が多分に含まれましたが、後編は桑原個人の考えを中心に書いていきます。その過程で松井の言いたかったことと違う言い分もあるかも知れませんが予めご了承ください。
 

そもそもとして

まずは、僕のスタンスから書いておきます。2011年に初めてトレイルランニングと出会い、個人的にそのアクティビティに惹かれたのと同時に、多くのランナーがトレイルランニングを通じて心身共にタフになっていく過程をとても素晴らしいと思いました。

また、ランニングを始めたことで、人生に新たな充実感を得た人たちとも多く出会い、トレイルランニングやランニングというアクティビティを盛り上げる側に回りたいなと思い、Run boys! Run girls!をオープンしました。もちろんお店なので経済的な活動をしてはいますが、トレイルランニングのシーンに対してなにか貢献できないか?という思いは常にあります。
 

このブログの着地点

このブログで伝えたいことは特別なことではなく、「レース(ひいてはトレイルランナー)には色々なスタンスの人がいるから、自分とは違うスタンスの人も理解して、レースやトレイルランニングのシーン全体が、よりポジティブな空気感になっていければいいよね」ということです(そもそものお店側の発信が、結果として逆に分断を煽るような形になってしまったことは申し訳なかったなと思っています)。

ゴールの話だけでなく、ここで述べる結論自体は当たり前といえば当たり前のことですが、色々な価値観があるということを整理して記しておくことには意味があると思っていますし、「なるほど、そういう視点もあるのだな」と感じる方が少しでもいればそれでいいと思っています。

あと、議論を蒸し返したいという意図もありません。自分として広げた風呂敷をちゃんと完結させる意図で書いていますので、読んでみて「なんだ、またその話かよ」と思われる方には、多分このブログに有益な情報はないと思いますので、無理してここから先を読まなくても大丈夫だと思います。
 

色々なゴール

ここからは再びゴールの話になっちゃいますが、レースのゴールにはどんなゴールがあるか考えてみました。

例えばトップランナー。

2位とは差が開き優勝目前、ゴール前の沿道の声援に応えながらゆっくりウイニングランをすることもあれば、

最後の最後まで1秒を争う優勝争いや順位争いをすることもあるし、

上位を争うライバルでありながら、レース中のお互いのコミュニケーションの中で同時にゴールをするようなこともあります。

一方、上位入賞を目指さないランナーにも色々なゴールがあります。

初めて出たレースで余韻を感じながらゴールをしたい人や

家族や仲間の待つゴールで喜びを分かち合いたい人もいれば、

自分のベストタイムを更新するためや、大会へのエントリー資格(例えばおんたけ100マイルやハセツネ本戦)を得るために、に1秒でも早くゴールしたい人もいるでしょう。

また、レースの道中ずっと抜きつ抜かれつのランナーをゴール前で見つけたら、ラストスパートで追い抜きたいと思うかも知れませんし、

逆に、道中の苦楽を分かち合ったランナーと一緒にゴールをしたいと思うかも知れません。

100マイルのロングレースのゴールでも、頑張った自分を祝福するためにゆっくりゴールをしたい人もいれば、

100マイルの最後の最後だからこそ全力を出してダッシュでゴールしたい人もいるでしょう。

そうやって考えてみると、ランナーのレベルに関係なく、本当にいろいろなゴールのスタイルがあります。レースには100人いれば100人のストーリーが有り、ゴールはそのドラマのエンディングなわけです。そして、タイムを追うゴールも、そうでないゴールも、等しくその人のドラマとして祝福されるのが、トレイルランニングに僕が感じている魅力だなと改めて思いました。

余談ですが、僕やRBRGのクラブメンバーはスリーピークス八ヶ岳トレイルのボランティアで毎年ゴール直後の装備チェックを担当していて、数百人のランナーのゴールシーンに立ち会います。レース直後に装備をチェックされるのはランナーとしてもめんどくさいでしょうし、我々もそのことは重々承知しています。ですので、装備チェックでゴールの余韻が損なわれないよう、返ってくるランナーすべてを「レースのゴールおめでとう」という尊敬と祝福の念を持って迎える事を自分たち装備チェックチームの共通の姿勢としています。
 

自分一人でゴールできないときもある。

様々なドラマのエンディングであるゴールですが、その瞬間が”自分ひとりだけ”でないこともあります。参加者数が多い大会でボリュームゾーンと呼ばれるランナーの多い位置だと、ゴールには数秒差、時には同着で何人も入ってきます(前述のスリーピークスでも多いときは5~6人が同時にゴール後の装備チェックを受けるタイミングがあります)。

また、複数カテゴリがある大会(スリーピークスもそうです)では、それぞれのカテゴリのランナーがゴールで一緒になることもあります。上位に位置する俊足ランナーと初心者ののんびりランナーが同時にゴールすることも起こりうるわけです。

そうすると、自分の思い描いていた理想のゴールが100%できないこともあるでしょう。一人でゴールの余韻に浸りたいランナーの横を、1秒でも早くゴールしたいランナーが駆け抜けるかも知れません。でも、これは仕方ないことかなと思います。さっきも言ったようにそれぞれのランナーにそのレースのドラマがありますから。

そこから先は日常生活と同じというか、気配りをできる余裕がある人はすればいいと思いますが、余韻に浸りたい人も、早くゴールしたい人も、険しい道のりを走ってきたわけですから、配慮をする余裕がないかも知れません。なので、大事なことは目くじらを立てないことかなと思います。自分が思っている以上に色んな思いを持ったい人のドラマの終着点がゴールだからです。
 

ゴールで唯一優先されるべきものは?

ちなみに、あえて優先順位の話をしてみましょう。ゴールして余韻に浸っている人と、その後に来た1秒でも早くゴールをしたい人がいたら、後者が優先されるべきかと思います。どうしてでしょうか?

ゴールはゴールをする場所なので、一番に優先されるべきは”ゴールをする”という行為だからです。たとえ、タイムや順位の計測をしていないレース(それをレースと呼んでいいのかわからないけど)があったとしても、最後は全力でゴールしたいという人は絶対います。ゴールはそういう場所です。なので、ゴールで一番優先されるのは”ゴールをする”という行為だと思います。

でも、余韻に浸っている人も後続を妨げたいという意図があるわけではないでしょうし、先にも書いたように、厳しいレースを必死に走ってきてるわけなので、最後に周りを見る余裕がある人ばかりではないでしょう。その辺は例えば大会のゴール係がうまく後続ランナーのためのスペースを作ってあげたりすればいいのかなと思います。

ちなみに、ゴールは余韻に浸りたいからゴール付近では他のランナーに先に行ってもらって、一人になれる時間を作ってゴールするというランナーの方もいたりします。タイムにこだわらない方であれば、こういうゴールの仕方もありだと思います(このブログではこの行為を含め特定のゴール行為のみを尊重する意図はないのでそこは誤解のないようお願いします)。
 

ゴール占拠問題について考える

ここで、日本のトレイルランニングのゴールにおいてしばしば問題となるゴール占拠問題についても考えてみます。

ゴール占拠問題というのは、先にゴールしたAさんというランナーが、大勢の仲間と長時間ゴール上で写真を撮っていたり、ゴールを祝福したりしていることで、後からゴールするBさんというランナーがゴールをしようとした時にゴールできなかったり、ゴールできてもそのゴールがなんか後味の悪いものになってしまうという問題です。

これに関しては、サポーターや祝福する側は、ちゃんとランナーに配慮をするべきだと思います。祝うな、写真を撮るな、というのではありません。僕もゴールで仲間が待っててくれたら嬉しいです。ただ、ゴールゲート前で写真を撮るのだったら、邪魔にならないようにしばらくゴールするランナーがいなくなるタイミングを見計らったり、祝福をするのなら、後からゴールするランナーが気持ちよくゴールをできるようにゴールゲートより奥の方でしたり、色々できると思います。

やはり、ゴールはゴールをする場所であり、ランナーのためのものだと思うからです。ランナー同士のゴールなら、ゆっくりゴールする人と駆け込んでゴールする人が同時にいたとしても、それは互いの価値観の問題だとは思うのですが、ランナーとサポーターだったら、ゴールで大切に扱われるべきは間違いなくランナーでしょう。なので、サポーターの方は自分の応援するランナーに対するのと同じ敬意を、他にゴールするランナーに持ってもらえればなと思います。

あとは、やっぱりゴール係がうまく誘導したり、ゴールセレブレーションができるようなスペースを広く取るとか、大会側ができることもまだあるかなと思うし、主催者、参加者みんなでいい雰囲気の大会を作っていけたらいいなと思います。
 

実際海外レースのゴールってどうなの?

ゴールの作法の発端となっているのは、”海外ではゴールゲートが見えたら前の選手を抜かないという暗黙の了解がある”、という話でした。実際、FacebookにもUTMBに関して同様のコメントを寄せてくれた方が複数名いました。

でも、実際のところどうなんだろう?と思い、フォローブログ第一弾を書く前の7月の段階で、海外レースの経験が豊富(10レース以上参戦)な自分の周りの人数人(走力や主戦場とするカテゴリはそれぞれ異なります)に聞いてみました。それをまとめたのが以下です。

上田瑠偉

海外スカイランニングでも多数優勝経験のある日本トップのトレイルランナー

質問:ヨーロッパのレースのゴールセレブレーションについて、トップ選手でも、順位が大方決まったらゴールで前の選手のセレブレーションの邪魔はしないとか、そんなの気にせずゴールするとか、ヨーロッパのレースに出てみて感じたことがあれば教えてください。

個人的には3位以下だと楽しそうにゴールはしてないですね…悔しいので。

トップ選手はゴールゲート付近に観客がずらっといたり、MCが盛り上げていたり演出が盛大なので、競っていないかぎりはゆっくり沿道とハイタッチしたりしながらゴールします。

競っているときは問答無用です。特にスカイランニングはそれで獲得ポイントが変わったり賞金も変わりますし。

ボリュームゾーンは、日本のようにチームでわいわいとはあまりならないかなと。恋人や家族でフィニッシュがせいぜいかなーと。

Aさん

ヨーロッパ在住のランナー

質問:海外レースの大半では、ゴールゲートが見えたら前の選手への敬意を込めて追い抜かない、という意見についてどう思いますか?(以下、Bさん、Cさんにも同じ質問)

あくまでも私の意見ですが。。。簡単に言うと、それは事実じゃないと思う。レースの規模にもよるし、距離にもよるんだと思う。

例えば、土曜日に私が出たレースは、最後2kmくらい5人くらい(みんな違う距離の人たちだったと思う)同じタイミングで走ってたんだけれど、ずっとゴールまでみんなダッシュで、私もゴールライン最後までダッシュしてゴールしたよ。まわりのことは何も考えなかった。私のレースは43kmで、私は11時間かからないくらいのだったけれど。私の順位は真ん中くらいで、きっと最後のほうの人はゆっくりゴールだと思う。

あと、例えば、ヤマケン(山本健一選手)が2位でゴールした去年のUTMR。ランナーの数がそもそも少ないからか。160kmのハードなレースだったからか。3位で走っていてた人は最後の数km手前でヤマケンに追いついたけれど、二人でいっしょにゴールした。

PTLとかだったら、みんな最後はゆっくりゴールだし。

Bさん

日本、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの”ウルトラ”レースに多数参戦の実力派

”ウルトラ”に限ると、僕の知るレースはすべてその通りです(海外レースの大半は、ゴールゲートが見えたら前の選手は抜かさない)。具体的にはゴール前のホームストレートに入ればその時点で順位確定、抜かしません。「レース」(タイムが短いものを先着とする)という意識じゃないようなところがある。

もちろん順位や自分のベストを尽くすということは追求するけど、大自然のなかで同じコースを同じ時間、同じ空の下で切磋琢磨していると、競争相手という意識を超えてしまう。レースというフォーマットのなかで、自分なりに出し切れたかどうか。相手がいて競うからこそ発揮できるパフォーマンスがある。

その道のりをこえてゴールにたどり着くと、自分の走りに満足でき、競争相手は同じ船に乗った仲になり、レース関係者や自然に対する敬意が湧き上がってくる。それが頂点に達するのはゴールの瞬間。そこで喜びをかみしめ、自分以外の存在に敬意を表そうとすると、自然と、ゆっくりした歩みになる。

その他のタイムレースのように「一秒を削りだす」ことが敬意じゃないんです。出し切って帰ってくることが、敬意になっている。レースというフォーマットにのっとってるけど「スポーツ・競争」ではなく「アウトドアアクティビティ・挑戦」なんですね。そうすると、たとえ上位で順位を争っていても「一緒にゴールしよう」という気持ちになる。何か尊いものを達成したから、順位で上下をつけてしまうのがヤボに思えてしまう。その場にいる参加者、観戦者、主催者、おしなべてそういう気持ちになっている。ムードですね。

そういえば、欧州、米国、アジアとも、ウルトラトレイルの大会はRACEってついてないものがほとんどですね。Western States Endurance Runとか、UTMB(旧Ultra Trail-du Mt. Blanc)とか。以上が、個人的な感想こみの海外レースの実情です

Cさん

欧州を含む世界中のレース経験豊富なランナー

皆さんトレランをする目的が異なるため、本件に対して様々なご意見があるかと思います。

私自身も海外のトレイルランニングの風習や文化を100%俯瞰しているわけではありませんが、その意見にちょっと同意は難しいかなと感じます。

その理由として、日本、海外ともにトレランレースの共通ルールはランナーの安全確保と山への環境への配慮のみだからです。その中で、その国々の文化や風習によって独特のルール・作法は存在するかとは思います。日本独特のルールの一例として、トレイルを歩くのはハイカー優先>トレイルランナーがありますが、例えば香港ではこのようなルールはありません。

私は種々の海外レースに参加しましたが、ゴール前で前の選手を抜いてはいけないということは一切ありませんでした。桑原さんも出場されたUTMBでもこのようなルールは存在しないかと思います。

昨年(2018年)のUTMBに応援に行きましたがゴール30分前でも、仲間と家族と一緒にゴールするランナーの横を、最後の力をふり絞って猛ダッシュで横切ってゴールをしている人はたくさんみかけました。。

ちなみにヤマケンさんの出場されたUTMRでも友人の応援で制限時間前にゴール地点にいましたが、皆さん同様に思い思いのゴールをされていました。

トレランレースをする人の目的は、タイムを競う人、山旅として楽しむ人、家族のために走る人、持病を抱えてて克服・限界にチャレンジするためなど様々だと思います。

そんな目的がある中で、ゴールするための手法、手段も人それぞれ異なるものなので、大会側がゴールにフォーカスしたルールを設けていないものだと感じます。

それぞれみなさん、個人の観点からの意見を述べてくれました。

まず、先に断っておきたいのは、ご意見をくれた4人共、それぞれの経験に基づいて”個人的”な意見を言ってくれました。RBRGとしては、どの意見が正しいとか言うつもりはありませんので誤解なき様お願いします。

僕として、これらを聞いて、すべてのシーンに共通するルールというのはないなと思いました。

ヤマケンさんやBさんのようなウルトラトレイルの上位に来る選手の中ではそういうケースもあるように見えますが、それにしてもルールだからというよりは、自分の中から湧いてくる感情に身を任せた結果にも見えます。いずれにせよ、皆さんに共通しているのはボリュームゾーンのランナーにおいては、前のランナーを抜かさない、といったような暗黙の了解は特に無いよ、ということでした。

僕も2015年のUTMBを制限時間30分前にゴールしましたが、前の選手を抜かしちゃ駄目とかそういう知識はありませんでした。ただ、46時間ずっとサポートしてくれた妻と一緒に走ってゴールできたのは最高の思い出でした。

ちなみに、Aさんが言っていたPTLは、UTMBのカテゴリの中で完走するのが最も困難なカテゴリで、「シャモニーに帰ってきた人すべてが勝者」という価値感をカテゴリ出場者のみんなや観戦者の多くが共有しているレースで、そういうレースがあるというのも一つの事実であるとは思います。
 

美談の裏側で

一見美談に見えるゴールに後日談があることもあります。

2008年のハセツネ、ヤマケンの優勝に続いて、鏑木さんと横山さんがお互いに了承のもと同時にゴールをしました。これはライバル同士の感動のゴールとして受け止められましたが、先日発売された、マウンテンスポーツマガジン トレイルラン 2019 夏号「ハセツネ大全」 (別冊山と溪谷) で横山さんはこのときのゴールに対してこんな思いを述べています。

「(前略)いま振り返ると、このときの選択には少し悔いが残っています。最終的な順位はどうなったであれ、勝負に徹し、さらには先頭を追いかけるべきだったかなと」

これを読んで僕は、勝負に徹するのであれ、徹しないのであれ、自分が走る目的や、走ってきた結果湧いてきた感情にしたがって、それぞれ悔いの無い様にゴールをするのが一番いい、と思いました。
 

異なる背景のランナーたち

「ゴールの作法」以降見えたリアクションでは、

他者のゴールを尊重しその人がゴールを満喫できるように自分のゴールを少し待ったランナーを、素晴らしいと思う方もいましたし、

最後の最後の瞬間までデッドヒートを繰り広げ、ゴール後に互いを称え合うランナーの映像を見て、これぞ理想のゴールだという方もいました。

前者は「ゴールの作法」で紹介したKOUMI100という100マイルレースの後方のランナーのゴールで、後者はスカイランニングのトップランナーのゴールでしたので、ベースとなる状況はかなり異なるのですが、それでもレースのゴールにおいては、対局とも言える価値観が同時に存在すると言うことが改めて浮き彫りになりました。

その背景を見ていくと、前者と後者のランナーはトレイルランニングに臨む背景が異なり、その異なる背景について想像が及ばないこと方もいることで壁が生まれていると思ったのです。

そこに「ゴールの作法」ブログが「ゴールは譲るべき」的に誤解されて受け取られることで、その壁が強まってしまったという印象を受けました。先にも書いたようにそのことについてはブログ発信者としての責任を感じています。

なので、改めて異なる背景を紹介することで、様々なトレイルランナーが互いをよりリスペクトできるようになったらいいなと思い、ここから先僕の考えを書いていきます。ここからが、僕がこのブログを書いている一番のモチベーションであり、うまくまとまらず時間がかかってしまった部分でもあります。
 

コミュニティ思考と競技志向

トレイルランナーの価値感が真っ二つに分けられるわけではありませんが、主に価値感が相違しがちなのはコミュニティ的な考え方と競技的な考えだなと、twitterで「ゴールの作法」後に起こった会話を見て感じました。

ここではそれを「コミュニティ思考」と「競技志向」と呼んで考えてみようと思います。ただ、この2つの考えを対立する考えとして紹介したいわけでは無いことはご理解ください。一人のトレイルランナーの中に同居しうる考え方でもあるとも思っています。

「コミュニティ思考」

トレイルランニングのみならず、規模の小さいスポーツでは構造的にシーン全体がコミュニティ化しやすいと感じます。全体の競技人口が少ない分、レースオーガナイザーや、参加者、トッププレーヤー、ひいては僕らのようなショップやブランドそれそれの距離が近いこと、ひとりひとりの競技者が自分がそのシーンの一員と感じやすいことがその理由なのではないかと思います。

例えば、競技規模の大きいマラソンと比較するとわかりやすいと思うのですが、マラソンのトップ選手である大迫くんよりトップトレイルランナーである鏑木さんの方が心理的な距離は近く感じるのではないでしょうか?

また、日本のトレイルランニングはビジネスとしても規模が小さい分、大会運営などにユーザーの支えが不可欠な構造もあり、常に運営者とユーザーの距離が近いのは事実であると思います。海外を見てもアメリカのトレイルランニングのシーンは地域のランニングコミュニティをベースに盛り上がっているなと感じます。ちなみにヨーロッパについてはちょっとよくわからないですが、UTMBの規模感を見るにコミュニティ<ビジネスのレベルにあるのでは無いかなと推察します(どなたか詳しい方いらしたら情報ください)。

ちなみに僕は、前職でフットサル場やフットサルチームの運営をしていましたが、マラソンとトレイルランニング、サッカーとフットサルの関係は非常に似ていると感じました。やはり、フットサルはチーム運営者、選手、サポーター、一般プレイヤーの距離が非常に近く、日本代表選手とも割と普通に会って話せたりしましたし、トレイルランニングにおけるAnswer4のように、一般プレイヤーが立ち上げたフットサルブランドが1〜2年で人気ブランドになったりしていました。

話をもどします。

このように、シーン全体がコミュニティ化しているので、コミュニティ思考を持ったランナーは自覚的無自覚的問わず少なくない数いると思います。

僕の思うコミュニティ思考のランナーは

  • 競技者としてもレースに参加するけど、別の機会ではレースを支える側に回りたい
  • 競技会としてだけでなくシーンに対して関わる「イベント」として参加するレースも多い
  • 会話の内容は、レースタイムやパフォーマンスではなく、どのレースに出たか、完走したかが多い
  • 個人のレース結果も大切だけど、仲間と一緒に練習する機会だったり、横のつながりが重要

こんなイメージです(決めつけたり枠にはめるのが目的じゃないですからね)。

今回の「ゴールの作法」ブログは、コミュニティ思考の人には『他者のゴールを尊重する』という部分が支持されているように感じました。

「競技志向」

トレイルランニングはアウトドアアクティビティであると同時に競技でもあります。事実、現在のシーンを盛り上げている中心にはUTMFやUTMB、ハセツネなど間違いなく”レース”の存在があります。

レースがタイムや順位を競うものである以上、そこにフォーカスして自らを研鑽していくことは自然なことであります。ここでは、トレイルランニングにおけるプラオリティがレースでのタイムや順位、そこに至るためのトレーニングであるランナーを総称して「競技志向」と呼ばせてもらいます。

僕の一番身近にいるランナーで「競技志向」という言葉が一番しっくり来るのは、RBRGアスリートでもあるオショーです。

ブログを見ていただいたことのある方なら分かると思うのですが、彼がレースに向け自分を律してトレーニングしていく様子や、実際にその積み重ねでレースで表彰台に登るレベルまで自分を高めたことは本当に素晴らしく、フィジカルエリートでない人間が(オショーは5年前は桑原と同じくらいの走力だったんです)日々の研鑽の積み重ねでトップランナーになれるというストーリーを多くの人にも知ってもらいたくて、RBRGアスリートになってもらいました。もちろん僕は彼のことをとてもリスペクトしています。

ということで、僕の思う競技志向のランナーは

  • レースの順位やタイムにプライオリティを置く
  • その結果を導くための日々のトレーニングや研究を惜しまない
  • 自己管理能力が高く、コミュニティに大きく依存しない

こんなイメージです。

今回の「ゴールの作法」ブログは、競技志向が強い人からは、そもそもとして競技志向が否定されるように読めてしまって反発がありました。また、出し切ってこそのゴールだろうという反応も多くいただきました。
 

きっぱり二分されるものでもない

ちなみに、RBRGアスリート全体を見てみてると、基本みんな競技志向の特徴が当てはまりますが、トモさんに関しては「自らがお世話になったランニングに恩返しをしたい」という思いを持っていることや、アメリカのトレイルランニングシーンとのつながりもかなり強いことから、コミュニティ思考もかなり持っていると感じます。

また、RBRGで運営しているクラブでもその中のチームごとに特色が別れていて、あるチームはコミュニティ思考が強く、練習後も割と残ってメンバー同士が話していたり、飲み会に行って結構飲むのに対して、あるチームは競技志向が強く、練習後はみんなあっという間に帰ったり、飲み会をやってもお酒を飲まず炭酸水を飲んでいたりしますw。もちろんそのチーム同士が反目しあっているとかはありません。

また、コミュニティ思考であっても、ボランティアを経験したことのない人もいれば、競技志向の人がボランティアやシーンへの貢献意識を持っていないわけではないです。

何が言いたいかというと、コミュニティ思考と競技志向はきっぱり二分されたり、対立するものでは無いと言うことです。
 

とはいえ

とはいえ、大きな目でみたときにコミュニティ思考と競技志向の間に壁は無くはないと感じます。

まず、先に述べたようにトレイルランニングシーン自体がゆるく大きなコミュニティ化しています。お店でお客さんと接していて思うのは、会話の内容が、レースタイムやパフォーマンス、トレーニングについてではなく、どのレースに出たか、出たいか、完走できたかになる方が多いです。「先日スパトレイルを走ってきました」とか「信越五岳がいいレースって言うから出てみたいんです」とか「先日上田瑠偉くんのイベントに行ったんです」とか、そういうトレイルランニングコミュニティでの共通の話題に基づいた会話ですね。うちのお店がコミュニティ色が強いからと言うのもありますが、レース会場なんかで周りから聞こえてくる会話もこんな感じの会話が多いと感じます。

併せてトレイルランニングは、完走を前提としてその中でタイムを競い合ったり、自分の目標タイムを目指すマラソンと異なり、レースごとに完走率も大きく変わるし、参加して挑戦することや完走することに目標がおかれがちな競技です。このように、タイムに縛られないことが魅力でマラソンからトレイルランニングに移行する人もいますし、コミュニティ思考の方でなくても、レースにおいてタイムそのもの”だけ”を重視しない人の方が多数派であるようには感じます。

また、これも繰り返しになりますが、競技ベースの人はあまりコミュニティに依存せず、個人で活動できるため、コミュニティ思考の人とそもそも接点が少ないということもあり、コミュニティ思考やタイムにそれほど重きを置かない人にとってはその存在が見えにくいです。
 

facebookとtwitter

そのことに気づかせてくれたのはSNSでした。僕はかなり長い間twitterからは遠ざかっていて、お店も個人もfacebookとinstagramを中心に運用していたのですが、今年久しぶりにお店のtwitterアカウントを再開しました。

facebookのタイムラインは、自分と繋がりがある人以外の意見は見えにくいですが、twitterは自分と繋がりのない意見の人もどんどん目に入ってくる。僕自身コミュニティ思考強めの人間なので、facebookでは同じ感じのトレイルラン仲間の投稿を目にすることが多かったですが、twitterで見える景色はだいぶ違いました。特に印象的だったのが、トレーニング内容や理論に関するつぶやきや議論が多数飛び交っていたことでした。

また、facebookは実際の人間関係や興味がベースなので、コミュニティ向きのSNSであるのに対し、twitterは繋がりはあれど、個人が好きなタイミングで自分の思ったことをつぶやけるメディアなので、個人向きのSNSだと思います。そういったこともあり、facebookでは余り見ることのできない、コミュニティに依らないフラットな意見(コミュニティ思考でもない、競技志向でもない、個人でトレイルランニングを楽しんでいる方ももちろんいるわけで)を見られるのもとても興味深いと感じました。

そういったSNS体験を通じて、お店でいろいろな人と接してきてはいたけど、まだまだ全然見えてない意見がたくさんあるなぁと言うことに気付かされました。

それから、facebookとtwitterで「ゴールの作法」に対するリアクションが大きく異なったのも、facebookがコミュニティ向きであり賛同意見が集まりやすく(反対意見が見えにくい)、twitterが個人向きでありフラットな意見の多くが目に入りやすいからだと思います。前編にも書きましたけど、facebookとtwitter両方のリアクションが見れてとても良かったです。
 

コミュニティのメリット、デメリット

コミュニティ思考と競技志向の間の壁についてもう少し考えてみます。まず、コミュニティがあることでの良い点としては、ランナーがシーンを支えやすくボランティアへの参加等による助け合いが多く起こる部分や、トッププレーヤーと近い距離で接することのできるアットホームな空気感等があります。

反面のデメリットとしてはムラ化があります。内輪ノリで外から入りづらいだけならまだいいんですが、ムラの外が見えないために多様性が失われたり、シーン一部にある暗黙の空気が、知らず知らずのうちに全体に対する窮屈なローカルルールを生み出す、というようなことになってくると良くないですね(もちろんコミュニティ内でのコミュニケーションを通じて伝えられる有益な情報もたくさんあります)。

今回の「ゴールの作法」ブログは、RBRGとしてはそう意図していたわけではありませんでしたが、結果として窮屈なローカルルールを押し付けているようにも見えてしまいました。でも、そこに起こった様々な意見が見えたことは僕にとっては良かったと思っています。

ゴールは譲り合うべきだという風に読める文章が拡散したことで、それが良いと思った人、いやいや競技なんだから全力を尽くしてなんぼだろと思った人、両方が見えました。本来両方いてあたりまえなんですが、さっき書いたように、意外と一方にはもう一方が見えていなかったりするわけです。
 

壁の正体?

かなり話がダラダラしてしまいましたのでまとめます。

そんな感じで、日本のトレイルランニングシーンは、やや規模の小さいスポーツ / アクティビティ シーン特有の、シーン全体がゆるくコミュニティ化している状態だと思います。

で、コミュニティの中からは意外と外が見えないのと(外から中はある程度見える)、その上にコミュニティがムラ化したり、コミュニティのローカルルールが「ゴールは譲るものだ」、「ボランティアはするものだ」みたいに変な形強制力を持って流出したりすると、それが内外を分断する壁となるなと思いました。

(ボランティアのことについてあえて書いたのは、コミュニティとボランティアがひも付きやすく、そこも議論が生まれやすいところだからなのですが、そっちは日本トレイルランニングシーンがサスティナブルか否か問題という根深い問題が背景にあります。それについても書き出すとかなり長くなってしまうので、いつか書けるときがあれば書きます。)

すんごい長くなりましたし、まとめるのに難儀しましたが(まとまってないけど)、僕が今回ゴールの作法で見えたのはそういうことです。

で?

でもって、「で?」って話なんですがw

最初に書いた通り、僕の願いとしては、コミュニティ思考と競技志向の間には壁が生まれやすいけど、同じ競技を愛するもの同士理解し合ったり、理解できなくても目くじらを立てずに尊重できればいいなってことなんですよね。

なので、このブログを読んで(ここまで読んだ人がどれだけいるでしょうか?読んでくれた方どうもありがとうございます)、

「ふむふむ、自分とは違う考え方の人がいるのね?」

と思う方が少しでもいれば嬉しいです。

あとは、

「そもそも、分類とかナンセンスだし、自分はどんなスタイルがあってもいいと思う」
「色んな人がいるのは理解していたし、最初から自分は壁なんて持ってない」

と思った方もいるかもしれません。さすがです。偉そうなこと言ってすみません。

ぞれから、

「話がクソ長いし、なんか論点がずれてる」

と思った方、ごめんなさい。でも、一連の流れで僕が感じたのはそういうことなんです。全然うまくまとまらなかったのは、僕の思考力や文章構成力の足りなさです。

まぁ、100人読み始めて、10人が最後まで読んで、そのうち3人がなにか新しい視点をもったとか、そんなレベルのブログかもしれませんが、それでも何か感じた方がいれば幸いです。
 

最後に

ゴールの作法がアップされて様々な反響を呼びました。Run boys! Run girls! の基本スタンスは、誰かを否定するようなものではないんだけど(それは、僕も松井もそうです)、表現とかが悪くて誤解も生んじゃいましたし、それによって嫌な思いをした方がいたらすみません。また、事実誤認でご迷惑をかけた方にも改めてお詫びします。

後編に関しては有耶無耶にしたかったわけじゃないんだけど、テーマの難しさと、自分のスケジュールの過密(マネージメントの下手さ)さなどもあり、全然仕上げることができませんでした。軽はずみに「後編がー」とか「今週にはアップできるー」とか言ったことは後悔しています。結果、自分で自分を追い込んでしまったw

繰り返しになりますが、僕たちはトレイルランニングという魅力的なアクティビティやそれを取り巻くシーンがよりよくなって貰えればと思って日々活動しています。その過程で今回みたいに至らないこともあるし、スマートにやれないことも多々多々あるんですが、それでも今後も向き合ってやっていきたいと思います。

今回、Run boys! Run girls! に対して色々思った方もいると思いますし、このブログにも色々な意見があるかもしれませんが、今後も付き合ってやるか、と思った方は引き続きお付き合いいただければ幸いです。

トップ写真:2015 奥三河パワートレイルのゴール直後。完走率が30%を切るハードなコース設定の中、初めて上位10%以内でゴールできた思い出の大会です。

PROFILE

クワバラ | Kei Kuwabara

Run boys! Run girls! 店主。体重が増減しがち。その分ダイエット得意がち。2020年に何かの大会で10位以内に入るプロジェクト」通称「にな10」を立ち上げるもコロナ禍やなんやかんやで頓挫。UTMF、UTMBや、Pine to Palm(Oregon / 100mile)、OMM (UK)などを完走しています。

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