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2020年2月5日

内坂庸夫 内坂庸夫

1978

速い男と速すぎた男

 富山から静岡まで415km、北・中央・南の日本アルプスのすべてを越える日本最大級の山岳レース『トランスジャパンアルプスレース/TJAR』。近年、望月将悟さんの活躍で広く知れ渡ったレースだけど、2006年に優勝したのは2児の母、間瀬ちがやさんだ、2004年は2位(TJARは2年の一度の開催だから前回は準優勝ってこと)。加えて彼女は『日本山岳耐久レース(*1)』で5勝、うち1999年から2001年まで3連勝している、開いた口がふさがらない。

 2007年春、最初で最後の『ハコネ50K』で優勝した女子はこの間瀬さん、男子は鏑木毅さん。優勝の副賞はその夏の『UTMB』への招待であった。両名に加えてアドベンチャーレーサーの横山峰弘さん、そして佐藤浩巳さんがモンブランを走った。が、惨敗、まったく歯が立たない。完走できたのは鏑木さんただひとり、その鏑木さんとて下肢の毛細血管がちぎれ、一歩ごとにじゃぶじゃぶ音がしたというから壮絶なんてもんじゃない。かろうじてフィニッシュできたものの、まったくレースになっていない(とはいえ12位だぜ)。鏑木さんは車椅子に乗って帰国することになる。

 以来、鏑木さんは『UTMB』に挑戦し続け、そして翌08年に4位。09年には3位(*2)、盟友の横山さんが6位、初出場の山本健一さんが8位と大金星を挙げている。日本人チームは07年の仇を討ったというところか。鏑木さん、昨年は50歳でUTMBを走っている。

 当たり前だけど、鏑木さんたちがどんなに苦労しようと活躍しようと、知らせる者がいなければ誰にも伝わらない。「ターザン」が毎年6ページを割こうがたかが知れている、ところがそれがTVなら情報の拡散は桁違い、しかもそれがNHK総合放送そしてBSハイビジョンであれば、北海道から沖縄まで1億総国民がたちどころに知ることになる。

 09年。NHKはその番組を用意周到に準備していた。鏑木さんの日々のトレーニングを追い、富士山のお鉢巡りを撮り、シャモニに入ってからの一挙手一投足をカメラにおさめる。そして世界初だろう、短距離なら鏑木さんにも劣らぬ健脚たちにビデオカメラを持たせたランニングカメラマン(ランカメ)を100マイルの主要区間に配したのだ。

 そして奇跡に近いであろうことが起きた。『ウェスタンステイツ・エンデュランスラン』7連覇、『スパルタスロン246km』3連覇の、例の《BTR》の主人公ウルトラの帝王スコット・ジュレクを、われらが鏑木さんがぶち抜いていくのだ。NHKは「グッド・ラック!」と片手を挙げ、余裕でスコット・ジュレクを置き去りにしてゆくシークエンスのすべてをハイビジョンで見せてくれた。頼んでできることではないし、待ち構えて得られるものでもない、ひたすら鏑木さんを追っていったら・・というまさに千載一遇、これには日本中がしびれた。世界で3番目に速い男になった鏑木毅さん。しかも、前述の通り、この番組は日本人3人(*3)が表彰台に上がるという大団円で終わる。番組名は「激走モンブラン!166km山岳レース」。

 かくして日本人の多くが山を走るようになった。専門誌が創刊され、海外のトレランブランドが雪崩を打って押し寄せ、登山具店にトレランコーナーが設けられ、トレイルラニングはまたたく間にビジネスになってゆく。『UTMF』が開催され、もちろん『UTMB』に出場する日本人が増えた。番組を収録したDVDはいまや大プレミアムである。

 さてさて。実はその5年前の2004年に石川弘樹さんはアメリカのメジャー100マイル大会のうち規定の『ハードロック』『レッドヴィル』『ワサッチ・フロント』『ザ・ベア』の4つを完走し《ロッキーマウンテンスラム》を獲得している。なので日本人トップ選手として初めて100マイルを走ったのは石川さんだと言っていい。

 そして07年、鏑木さんがモンブランで悶絶したその年、石川さんは米国でもっとも伝統のある4つの100マイルレースを、6月『ウェスタンステイツ・エンデュランスラン』、7月『ヴァーモント』、8月『レッドヴィル』、9月『ワサッチ・フロント』と完走し(月イチで100マイルだぜ)、4大会合計最速87時間22分の総合1位で《グランドスラム》を達成している。

 このとてつもない快挙は、石川さん本人が語らない限り誰にも知られることはなかった。日本のメディアは《グランドスラム》はもちろん『ウェスタンステイツ・エンデュランスラン』も知らない。さらに言えば『UTMB』を最初に走った日本人トップ選手は鏑木さんではない。05年に石川さんがサポート無しで出場して13位でシャモニに帰還している、2ヶ月前に『ハードロック』を7位で走ったあとの『UTMB』でだ。これにもメディアは対応できていない。

 石川さんは速すぎた。欧米でとんでもないことを成し遂げていた頃、日本ではマスコミを含めてスポーツ業界もアウトドア業界も多くはトレイルラニングを知らない。2005年、唯一「ターザン」がその石川さんを主役にしてトレイルラニングの連載を始めたばかりだった。

昨日のようだぜ。2014年「ターザン」652号、一冊丸ごとトレイルラニング特集で対談。うわ、アマゾンで買える。撮影/石原敦志

 

*1 もともとは東京都山岳連盟主催のヒマラヤ遠征のための鍛錬を目的とした24時間耐久山行。2002年、2003年にトレイルランナーを名乗る石川さんが2連勝したことにより、登山愛好者以外の出場者が急増し、日本を代表するトレイルラニング大会に姿を変えてゆく。奇しくもこの2002年、2003年に鏑木さんは「富士登山競走」を2連覇している。

*2 『UTMB』で3位になった2009年、鏑木さんは2ヶ月前の『ウェスタンステイツ・エンデュランスラン』で準優勝している。

*3 じつはこれは正確ではない。冒頭の間瀬ちがやさんが女子9位、年齢別2位で表彰台に上がっている。正しくは日本人男子3人と女子1人、合計4人。この年、日本人はほんとに強かった。

PROFILE

内坂庸夫

内坂庸夫 | Tsuneo Uchisaka

「ヴァン ヂャケット」宣伝部に強引に入社し、コピーライティングの天啓を授かる。「スキーライフ」「メイドインUSA」「ポパイ」「オリーブ」そして「ターザン」と、常にその時代の先っぽで「若者文化」を作り出し、次はなんだろうと、鼻をくんくん利かせている編集者。
 2004年に石川弘樹に誘われ生涯初のトレイルラニングを体験(ひどいものだった)、翌年から「ターザン」にトレイルラニングを定例連載させる。09年に鏑木毅の取材とサポートでUTMBを初体験、ミイラ取りがミイラになって12年吹雪のCCCに出場(案の定ひどい目に遭う)そして完走。(死にそうになったにもかかわらず)ウルトラってなんておもしろいんだろうと、13年、UTMBの表彰台に立ちたい、自身の夢をかなえようと読者代表「チームターザン」を結成する。
 「ターザン」創刊以来、数多くの運動選手、コーチ、医者、科学者から最新最良な運動科学を学び、自らの体験をあわせ、超長距離走のトレーニングとそのマネージメント、代謝機能改善、エネルギー・水分補給、高所山岳気象装備、サポート心理学などを研究分析する。ときどき、初心者のために「100マイルなんてカンタンだ(ちょっとウソ)」講習会を開催してる。

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