Backyard Ultra Last Samurai Standing 2020 #4 なぜ出場したのか?
長くなった、Backyard Ultra Last Samurai Standingの話も今回で最終回。
4部全部読んだ人なんているのか?と思うが、気にせず書こう。
そもそもブログなんて自己満足だ。
では、なぜ?出場しようと思ったのか?の話。
走ったのは小山田さんで、マツイじゃないじゃんって思うかもしれないが、我々いつも「どのレースに出るか?」を2人で話し合って決めている。
まぁ話し合うというと大げさだが、小山田さんが走れば、私がサポートするというのが決まっているので、お互いのスケジュールを調整する(確認しあう)ために打ち合わせをする。
今回のBackyard Ultraは、大会開催の発表があったのが2019年12月14日。
それまでSNSで「におわせ」的なupはあったものの、公式発表はこの段階。
・参加資格
なし・参加条件
Backyard Ultra Last Samurai Standing
1.一昼夜以上走り続けるという特殊性を十分認識し、必要な訓練を行なっていること。
2.この種のレースで起こりうる問題に対して、自ら対処できる能力を有していること。
3.最後まで自分が走り続ける自信がある人
参加資格もなく、寝ずにずっと走り続けるのなら、結構向いてるんじゃないか?というのが最初の直感。
なぜなら、小山田さんと私はMUJIN100という自主100mileの活動を過去7回開催している。
これは、山梨県にある山を繋いで、100mileのトレイルランニングコースを作り、そこを走ることによって、地元の里山の魅力を発信し、海外に行けなくても地元で工夫次第で充分楽しめることを伝えるという活動だ。(詳しくはHPをご覧ください。)
このMUJIN100「トレイルランニングは生活と共にある」というのもコンセプトの1つ。
よって、100mileの為に特別に休みを取ったりせず、定休日を利用して開催する。よって、仕事が終わってからスタートし、ゴール後そのまま仕事というパターンも経験していた。
これまで1番時間がかかったのは、2019年11月に開催した、7回目。
山梨県にある、富士山が綺麗に見える里山「秀麗富嶽12景」を繋いだ100mileで、なんと50時間もかかった。
その間勿論睡眠や休憩を取っているが、長時間起きて行動することには慣れているのでは?という自信が生まれた。
ただ、これまで走った最長距離が200㎞に達していなかったり、大休止なく1時間毎に走り続けるのは、正直どこまでできるか未知数だった。
それでも出場しようと最後に決めた理由には
「これまでと何か違うスタイルで走りたい」という気持ちと、
小山田さんの身体の変化があったと思う。
これまで本人の希望もあり、周りに伏せていたが、
小山田さんは2019年2月13日に不整脈の手術をしている。
そう、ちょうど1年前。
誤解の無い様に説明するが、不整脈は「走りすぎ」でなるものではない。
心臓の病というのは、生まれつきだったり、原因不明なものが多いのが実情で、その不調がいつどこで現れるのかは、わからない。
不整脈の兆候は以前からあったが、それと気が付かず生活も、トレランもしていた。
決定的になったのは2018年の「武田の杜トレイルランニングレース」の日。
レース途中で胸が苦しくなり走れる状況ではなく完全に止まってしまった。
その後なんとか歩いてゴールしたが、とにかく苦しくて仕方なかったと言った。
武田の杜レースの前から「疲れが抜けない」「だるい」といった強い倦怠感があり、それが原因となって様々な不調を訴えていたが、2018年はほぼ月に1回のペースで100mileを走っており、そういった蓄積疲労が不調の原因だろうと、本人も周りも疑わなかった。
年齢的にも40代後半になり「もう歳かな」「更年期かな」なんて会話をしていたぐらいだ。
しかし、武田の杜での痛みと苦しさは、その当日だけでなく、その後徐々に体調を悪化させていった。
「ただの疲れ」「ちょっと休めば治る」状態だと思っていたがどうにも調子が戻らない。そこで近くの病院を受診すると「狭心症の疑い」と診断が出る。
もしも「狭心症」だとしたら、今後走るどころか、生活全てが心配になる。
大きな病院で再検査と医師に告げられた2018年の年末は、本人のみならず周りもどんよりと落ち込んだ。
しかし、その後より詳しい精密検査を受け「狭心症」ではなく「不整脈」であることがわかる。
そして、その後は、トレイルランナーの友人の紹介により「不整脈」の手術を受けることになった。
不整脈は年齢を重ねれば誰しも現れる症状で、手術をしなくても普段の生活には支障がない。でも、今後も走りたい、100mileを走り切れるだけの身体に戻りたい。そんな思いで手術を受けた。
それが2019年2月13日の話。
それからしばらく様子をみて、実際に走り始めたのは2週間後の3月から。
そして2か月後にはUTMFのスタートラインに立っていた。
しかし、手術から2か月後「UTMF」に出場する。万全とは言えない体調、まったく練習が足りていない状況で出場した。
これまで6年、サポーターとして私が付いていたが、これまで以上に慎重でしっかりとしたサポートを行う1年となった。
UTMFに限らず、もしも少しでも不安な部分が見えたら途中で中止させようと思っていた。
サポーターの私の役割は、レースの完走やタイムだけじゃない。
何があっても家族の元に小山田さんを帰さねばならない。
今思えば、すごい緊張感の中、UTMFを走り、サポートしていた。
しかし、実際は大会自体が降雪の為途中終了。小山田さんは140㎞地点の二十曲峠でレースを終えた。
次に出場したのは7月のONTAKE100。
結果は途中リタイア。
それでも120㎞以上走っていたのだから、充分だと思ったが、小山田さん本人は「思うように走れない」とストレスを感じていた。
手術をしたらすぐに良くなると思っていたのに、なかなか調子が上がらない。
今までみたいに走れない、もう走れないのかな?と本人は心配していた。
人間の要である心臓の手術をしたのだから、生まれ変わったのと一緒。
そこから生まれたんだから、今はまだ生後5か月。
赤ちゃんだって寝返りするかしないかぐらいの時で、しっかり歩けるようになるのは1年後。気持ちが焦るのはわかるけど、今はっかり治すことの方が大事だと、何度も話をした。
ようやく100mileを完走することができたのが、信越五岳100mile。
手術から7か月後で、異例のスピード回復だと思った。
小山田さんがゴールしても泣くことは今までなかったが、さすがに信越は涙が出てしまった。
「やっとここまで来た」という思いと「無事でよかった」という安堵感から涙が出た。
完走はできたものの、貧血症状などで本調子というわけではなかった。
ただ、1つの目標としていた「100mileの完走」ができるまでに回復したことは、背中を大きく押してくれた。
その後、MUJIN100と練習で100mileを走り、結果2019年は100mileを3本走ることが出来た。
「もう走れないかもしれない」から
「毎月100mile走りたい」と言うまでの体調に回復したが、
「走りたくても走れないときがくる」ことを知った今、
「動けるうちに、やれる限り走りたい」という気持ちが強くなったように感じる。
だからこそ今回Backyard Ultraに出ようという話になった。
出来るかどうかわからない。未知の距離、未知の状況で走り続ける。
それでも、すごく速く走るのは難しいが、何時間も走り続けるのは不得意じゃない。
出来ない不安で諦めるなら、やれるだけやってみようと出場を決めた。
結果は前回のブログで書いたように、29周、194.4kmで終了。
それでも100mile以上走れる体が戻ってきた。
そして194.4㎞は彼にとってレースで最も長く走った距離になった。
結果はDNFだったが、この新たなチャレンジは大きな刺激になり、今後のトレイルランニング人生に必要となる重要なスパイスとなったと断言できる。
小山田さんは今年48歳。
今回見事優勝した館野久之さんは小山田さんより1歳年上の49歳。
正直、一般的なスポーツでは「引退」している人の方が多いお年頃。
それでも館野さんはまだ世界各地の様々なジャンルの過酷なレースにチャレンジし続けているし、100mile以上のウルトラと呼ばれるカテゴリーでは、マラソンもトレイルランニングも、そして今回のBackyard Ultraも、この年頃(世代)が引っ張っていることは間違いない。
走りたいとう強い気持ちと、その為のトレーニングを地道に続ければ、何歳になってもきっと楽しく走れる。
Backyard Ultraは、これまで日本に存在した、どんなレースとも異なるまったく新たなジャンルのレースだった。
きっと、次回開催時も私は寝ずにサポートをしていると思う。
その時は今回よりももっと長い時間になるだろうから、今からしっかり作戦と準備をしなければ。