中止発表後の気持ちの整理
第8回スリーピークス八ヶ岳トレイルの開催中止発表をした。
開催を信じ、目標にして、エントリーしてくださった方
今年も手伝おうと、友人知人にたくさん声をかけてくれていた方
毎年お世話になってる方
沿道で応援してくれている地元のおばあちゃん、おじいちゃん
色んな人の顔が浮かび、正直中止発表のメール送信やHP掲載時は手が震えたし、涙が出た
申し訳ない、ただ、ただ、申し訳ない。
今から、エントリーしてくださった方々への対応をどうすべきか?を考えていくのですが、新型コロナウィルスの感染状況が日々異なり、政府の対応も日々変わり、何が1番いいのか?がわかりにくい。
少し冷静になって、一番いい方法を考えたい。
大会は毎年6月。
でも、準備はほぼ1年中。
そんな生活を、準備期間も含めれば約10年している。
大会開催の時期じゃなくても、整備活動はしているし、目に見える事、見えない事、様々な準備を年間通じて行っているけど、あまり話す機会もないから、今回は少し伝えてみようと思う。
大会開催を実感できる準備の1つが、ポスター撮影。
第1回大会はプロのカメラマンを頼むこともできず、それなりに良いカメラを持っている実行委員スタッフが撮影して、同じくWebデザインをしている実行委員がデザインを整えて作成した。
ちなみに、そのポスターがこれ。
でも予算がなくて、50枚ぐらいしかポスターは作れなかった。
たった50枚だけど、貼ってもらう先を見つけるのがとっても大変だった。
どこの誰だか、何の大会だかわからないポスターを、貼ってもらえるところを探して、1つ1つお願いに行った。
ポスターを最初から快く張ってくれるお店は少ないから、A4サイズのフライヤーを設置してくれるお店を探して、とにかくあちこちお願いして置かせていただいた。
フライヤーは安いプリント会社で、安い紙で、500枚つくるのが精いっぱいだった。
それが、これ。
スリーピークスと言えば、こっちの画像の方が、何となく覚えてるって方もいるかもしれない。
これ、飛んでる人は、コースディレクターの小山田さん。
彼は下りが得意で、いつも下りを文字通り飛ぶように駆け下りていく。
いつも通り彼が、三ツ頭をぱーっと走ってきたところを、私がiPhoneで撮影したら、なんかすっごいジャンプをしていて、どこでどうなっちゃってるの?という瞬間が生まれた。このインパクトはすごいし、それが面白いんじゃないの?ってフライヤーの写真に採用。功を奏して当時は話題になり、そこから興味を持ってくれる人もいた。
でも、やっぱり素人の作成だから、色んなところがやっぱりうまくいってない。
そこで、第2回大会からはトレイルランニングと言えばこの人、フォトグラファーの藤巻翔くんが撮ってくれることになった。
やっぱりプロは違う。
すごい。出来上がった写真のクオリティの高さに驚いた。
それがこれ
八ヶ岳からはとってもきれいに富士山が見える。
まるで富士山へ飛び込んでいるような、美しい写真だった。
ちなみに、ポスターデザインをしてくれている人も1回目からずっと変わってない。
実行委員であり、私のトレラン大会開催の夢を、一番最初に「面白いこと考えてるなー」って、本気で面白がって考えてくれた、APARTMENT FILM WORKSさんにお任せ。もちろんHPも彼にずっとお願いしてる。
ちなみに彼は、登山もトレランも、それどころかアウトドアスポーツは一切しない。
バスケやテニスが好きだけど、走ることは好きじゃないらしい。
翔君が今年のイメージで写真を撮る、それを彼に渡す、その写真を見て、キレイだなぁ、かっこいいなと思うデザインでポスターを作るから、出来上がったポスターはトレイルランニングレースっぽくない物に仕上がる。
実は観光地の八ヶ岳でレース開催している我々にとって、それが一番大事で、レストランや、美術館、観光施設に貼って頂いても、お店のイメージを損なわないポスターであることが掲示枚数を大きく左右する。
このあたりからは、印刷する紙の質にもこだわる事にした。
貼ってくれるお店も、楽しみにしてくれる人も増えたし、
せっかくの写真を、もっとも美しく印刷できる紙質で印刷したいと思ったからだ。
ちなみにこの年の「跳べし」は甲州弁で「走ってみようよ」「走ろうよ」という意味。小山田さんのジャンプと甲州弁と重ねた名作です。
我々の大会にとって、ポスターが与える印象はいつも大きく、そこにかなりの時間を費やす。
翔君の写真が素敵すぎて、毎回ポスターの写真選びが大変。
そういう理由もあって、ポスターとフライヤーはいつも写真を分ける。
でも、どちらも大会コースや、大会に関わる風景の写真を選んでいた。
それが、この2018年大会から変わった。
偶然撮影されたこの写真に、開催地域の実行委員メンバーの多くが感動して大喜びし、絶対これが良い!という熱意を受け、日中開催の大会なのに、満点の星空のこの写真が採用された。
勿論合成写真ではなく、大会コースのヘリポート跡から撮影したもの。
開催地域の実行委員がなぜ大喜びしたか?と言うと、八ヶ岳は1年通じて天の川が見えるほど、夜空がとてもきれいな場所で、それを観光資源として、県内外に広くPRしたいと思っていたからだと。
実際、このフライヤーは大会が終わってからも、カフェや観光施設で展示してくれる場所が多かった。理由を聞くと「八ヶ岳は星がとってもきれいに見えるから泊りに来てね」って伝えるときに便利だからと。
この1枚で、大会のポスターやフライヤーは地域の魅力を伝えるツールとしても大きな役割があることを知った。
この年から、印刷物デザインに高永さんが実行委員に加わわり、印刷物への文字間隔等細かい修正が入ることになった。
見た目かっこよきゃいいじゃん!という勢いで作っていたが、やっぱり専門家の見る目と力って重要だ。
そして、飛び方や飛ぶ場所も、毎年すごく悩む。
跳んだ先の景色や、飛んでいる形(小山田さんの体のバランス)、飛んでいる方向など、すごく時間をかけて、何度も撮り直す。
大体ポスターの撮影の為に、1か所で5~10回ジャンプをする。
3~5カ所ぐらいで撮影するから、ジャンプの回数も少ない年でも30回前後は飛んでいることになる。
小山田さんは毎年「そろそろ飛べなくなる・・・」とこぼすが、飛べる迄飛んでくれとお願いし、飛んでもらう。
やっぱりスリーピークスのポスターと言えば、飛んでいるのが見たい。
その辺の詳しいことは、小山田さんがInstagramに書いてるので、見てみてください。
そして今年も最高にかっこいいポスターが出来上がった。
八ヶ岳の主峰、赤岳と権現岳をバックに小山田さんがジャンプ。
フライヤーも、より一層八ヶ岳の魅力が伝わるようにと、この写真を選んだ。
「Run your Trail」というメッセージは、
あなたらしく走って欲しい、トレイルランニングを楽しんで欲しい、トレランの楽しみ方はあなた次第、そんな思いで表現した言葉だった。
その後、2019年の信越五岳トレイルレースのステッカーにも「Run your Trail」のメッセージが描かれていたと知り、びっくり。
まねっこしたみたいで実に申し訳ないが、気持ちは同じですと伝えたい。
ポスターを撮影したのは2019年の10月。
翔君がとりたい空の色のイメージが夜明け前から朝日が昇り切るまでだったから、天女山駐車場をまだ真っ暗なうちに登り始める。
翔君は登るのが本当に速い。
いや、私がのろすぎるのだけど、そうだとしても翔君は速い。
沢山のカメラを背負ってるはずだし、重量も相当な筈なのに、速い。
でもって、優しい。
小山田さん、翔君、私の3人で登り始めると、明らかに私が遅れて1人になる。
そうすると、まだ暗くて危ないからって、翔君と小山田さんが待ってくれる。
でも、待たれると、翔君の撮りたい空の色に間に合わない
待ってくれるのは嬉しいけど、間に合わなかったら困る。
精神的に追い詰められながら必死で登る。
何度も何度も待たれて、それでも離されて、私が追いついた頃には、すでに撮影は始まっていた。
今年の撮影場所は三ツ頭山頂付近。
実際のコース上ではないが、ここからの景色は絶景そのもので、何度来ても心が奪われる。
6月大会だから、たとえ後ろ姿しか映ってなかったとしても、Tシャツ&ショートパンツ。
季節感が合うようにだけでなく、身に着けている物も「古さ」が出ないよう、発売前のものを借りることが多い。
今回もAnswer4に協力してもらい、当時発売前のTシャツで撮影した。
でも・・・とにかく寒い。たぶんマイナスの気温だったと思う。
ジャンプの回数も大変だが、寒さとの闘いも毎年大変だった。
小山田さんと翔君が撮影する、翔君の画像確認中に小山田さんに防寒着を掛ける。
それを何度も何度も繰り返す。山頂でまだ太陽が昇っていない時間は、息も白く、それが太陽が見えてきたとたん、すーーっと明るさと共に熱が届き、太陽の偉大さを改めて感じる。
凍えながら撮影した写真だが、出来上がったものを見ると、毎年どれもこれも最高すぎて、想像をはるかに超える最高のものばかり。
今までなら、 沢山の素敵な写真を、 HP、エントリー通知、プログラムと、様々な場面で使わせていただくのだけど、今年は中止になってしまい、見せる機会が無くなってしまった。
でも、せっかくの作品だから、なにかしらの形で見せていけたらと思う。
(ポストカードにしようかなぁとか、今色々妄想中です)
これからは、まず自分自身の健康管理をしっかりして、中止になってしまった8回大会の対応を考え、実行する。
色々考えることが多くて、考えると落ち込んで・・・そんな時もあるけど、前を向いて考えていかなければならない。
スリーピークス八ヶ岳トレイル開催地域は、少子化が進み、小学校も閉校になったほどだ。
若者が少なくなってしまった街に、年に1度全国各地から若者が集まって、元気に走る。
それが、地域の活力になっていた。
だからこそ、この希望の炎を消してはいけない。
そう、落ち込んでばかりはいられないのだ。
Life is tough,but I’m tougher.