装備は主催者の言う通りに
3日前、2日前、そして前日。UTMB大会本部はショートメールを全選手に送っている、「雨、雪、低温が予想されます、厚手の保温ウェアを携帯してください」。シャモニのすべての山道具店からフリース系インナーウェアが姿を消した。
そして2012年8月最後の金曜日、ヨーロッパアルプス最高峰モンブランの山域は、やはり荒れた。さすが世界一のレース、悪天候も桁外れだ。夜明けからの小雨が昼には大雨となり、標高2000mを越える山はすべて雪に覆われ、難所と言われる2600mのイタリア・スイス国境のグラン・コルフェレ(フェレ峠)は吹雪、スタッフの仮設シェルターには海老の尻尾ができている。
その日、悪天候ど真ん中午後8時スタートの「UTMB」はコースを変え、距離を短縮したが、天気の崩れる直前、朝9時スタートの「CCC」は「最初の山を上らないだけ」で走り出している。時とともに風雨が増してきた。選手たちは氷雨と吹雪の中を、そしてぬかるみと凍結した雪のトレイルを進んだ。コルフェレでは睫毛が凍った。
もちろんレインジャケットを着た、だけどレインパンツは履かなかった。ごわごわして走りにくいし、そもそも走っているからカラダは温かい、というより雨の中でも熱かったから。
バカだったあ。つまりは下半身は流水にむき身を晒していたようなもの、体温はどんどん奪われていく。まだある、レインジャケットのフードをかぶらなかった(うっとおしい、視界が悪い)ために、開いた首元から氷雨が上半身に入り、じわじわと体温を奪っていった。走っているから熱い、なんてとんでもない。下半身も上半身も冷えるにまかせていた、走るためエネルギーを体温維持に使ってしまっていた、無駄使いしていた。
やがて夜、本人は気づかず服の中をびしょ濡れにしたまま2000mのボヴィーヌへ駆け上がる、雨のトレイルは標高を上げるにつれて雪道になってゆく。22時38分、山頂そばのチェックポイントは10cmを越える雪原の中にあった。たぶん夏は牛小屋になるのだろう、吹きさらしの狭い建物の中で、スタッフが温かいスープや紅茶などを用意し、大勢の選手でごった返している。
せっかくだから、紅茶でも一杯飲んでいこうか。走ることを止めて列に並んだのが大失敗。見ればわかる、まわりは雪、雪、雪、そして標高2000m。実は全身びしょ濡れ、あっという間にカラダが冷えた。小屋を出て走り出したとたん、いきなり低体温症、全身痙攣がやってきた。カラダ中ありとあらゆる筋肉がガタガタと震える。え、ウソだろ、歯ががちがち音を立てる。走るどころじゃない、雪の中に崩れ落ちた。あとで聞けば外気温はマイナス5度だったそうな。
四つん這いでなんとか小屋に戻ったところで、一部始終を見ていたスタッフが駆けよってきて、きっぱり言う。「あなたを先に進ませるわけにはいかない」「ここでレースは終了です」「こっちでエマージェンシーシートにくるまって横になりなさい、いま毛布を持ってきてあげるから」と指さす小屋の隅には、青い顔をした選手が5人くらいか、毛布だかなんだかにくるまって横になっている。
まさか、まさか。強制終了、DNFかよ、たしかにこれじゃあ走るどころじゃないけど。「いや、待ってくれ、リカバリーするからさ、ちょっと時間をくれよ」みたいなことを歯をがちがち言わせながら伝えると、彼女は「ほんと、これで行く気なの?」「ここを出るときは私が確認しますからね」とビブ番号を書きとめている。
思うように動かない指先でザックを開き、ジップロックに入れていたパタゴニアのキャプリーン長袖T、同じくタイツに着替える。乾いたウエアがありがたい、光輝いて見える、持ってきてよかったあ。
全身をマッサージし続けて1時間、熱い紅茶3杯でお腹も温まり、ようやくカラダが動くようになった。スタッフの彼女に声をかけると「OKだけど、ほんとに行くの、わかってる? トリアンまで残り6km、これからますます気温は下がります、途中でもう一度痙攣が起きたら、もう助からないのよ」。
「イエス・マム!」まるで戦争映画の主人公。こわごわ雪原に出てみる、大丈夫だ、震えはこない。そう思ったとたん、走り出していた。思い切り駆け下る、体温を上げなきゃ。真っ暗闇の雪道を転がり落ちるよう、逃げるようにトリアンに到着した、深夜1時20分。
身をもって学んだ。
《装備は主催者の言う通りに》
《雨には濡れるな》
《吐く息が白いときは立ち止まってはいけない》
走り続けた、背中のザックにもう着替えはない、二度と震えるわけにはいかない。立ち止まることが恐い。
走り続けた、カラダを冷やさないように走り続けた。恐怖が背中を押す、あれ、オレってこんなに速く走れたっけ? シャモニにフィニッシュしたときは年代別20位まで順位を上げていた。生まれてはじめてのCCC/UTMB、こんなにもおもしろいものとは思わなかった。勝手にヒーローになっていた。