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2020年12月2日

内坂庸夫 内坂庸夫

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装備は主催者の言う通りに

 3日前、2日前、そして前日。UTMB大会本部はショートメールを全選手に送っている、「雨、雪、低温が予想されます、厚手の保温ウェアを携帯してください」。シャモニのすべての山道具店からフリース系インナーウェアが姿を消した。

そして2012年8月最後の金曜日、ヨーロッパアルプス最高峰モンブランの山域は、やはり荒れた。さすが世界一のレース、悪天候も桁外れだ。夜明けからの小雨が昼には大雨となり、標高2000mを越える山はすべて雪に覆われ、難所と言われる2600mのイタリア・スイス国境のグラン・コルフェレ(フェレ峠)は吹雪、スタッフの仮設シェルターには海老の尻尾ができている。

その日、悪天候ど真ん中午後8時スタートの「UTMB」はコースを変え、距離を短縮したが、天気の崩れる直前、朝9時スタートの「CCC」は「最初の山を上らないだけ」で走り出している。時とともに風雨が増してきた。選手たちは氷雨と吹雪の中を、そしてぬかるみと凍結した雪のトレイルを進んだ。コルフェレでは睫毛が凍った。

もちろんレインジャケットを着た、だけどレインパンツは履かなかった。ごわごわして走りにくいし、そもそも走っているからカラダは温かい、というより雨の中でも熱かったから。

バカだったあ。つまりは下半身は流水にむき身を晒していたようなもの、体温はどんどん奪われていく。まだある、レインジャケットのフードをかぶらなかった(うっとおしい、視界が悪い)ために、開いた首元から氷雨が上半身に入り、じわじわと体温を奪っていった。走っているから熱い、なんてとんでもない。下半身も上半身も冷えるにまかせていた、走るためエネルギーを体温維持に使ってしまっていた、無駄使いしていた。

やがて夜、本人は気づかず服の中をびしょ濡れにしたまま2000mのボヴィーヌへ駆け上がる、雨のトレイルは標高を上げるにつれて雪道になってゆく。22時38分、山頂そばのチェックポイントは10cmを越える雪原の中にあった。たぶん夏は牛小屋になるのだろう、吹きさらしの狭い建物の中で、スタッフが温かいスープや紅茶などを用意し、大勢の選手でごった返している。

せっかくだから、紅茶でも一杯飲んでいこうか。走ることを止めて列に並んだのが大失敗。見ればわかる、まわりは雪、雪、雪、そして標高2000m。実は全身びしょ濡れ、あっという間にカラダが冷えた。小屋を出て走り出したとたん、いきなり低体温症、全身痙攣がやってきた。カラダ中ありとあらゆる筋肉がガタガタと震える。え、ウソだろ、歯ががちがち音を立てる。走るどころじゃない、雪の中に崩れ落ちた。あとで聞けば外気温はマイナス5度だったそうな。

四つん這いでなんとか小屋に戻ったところで、一部始終を見ていたスタッフが駆けよってきて、きっぱり言う。「あなたを先に進ませるわけにはいかない」「ここでレースは終了です」「こっちでエマージェンシーシートにくるまって横になりなさい、いま毛布を持ってきてあげるから」と指さす小屋の隅には、青い顔をした選手が5人くらいか、毛布だかなんだかにくるまって横になっている。

まさか、まさか。強制終了、DNFかよ、たしかにこれじゃあ走るどころじゃないけど。「いや、待ってくれ、リカバリーするからさ、ちょっと時間をくれよ」みたいなことを歯をがちがち言わせながら伝えると、彼女は「ほんと、これで行く気なの?」「ここを出るときは私が確認しますからね」とビブ番号を書きとめている。

思うように動かない指先でザックを開き、ジップロックに入れていたパタゴニアのキャプリーン長袖T、同じくタイツに着替える。乾いたウエアがありがたい、光輝いて見える、持ってきてよかったあ。

全身をマッサージし続けて1時間、熱い紅茶3杯でお腹も温まり、ようやくカラダが動くようになった。スタッフの彼女に声をかけると「OKだけど、ほんとに行くの、わかってる? トリアンまで残り6km、これからますます気温は下がります、途中でもう一度痙攣が起きたら、もう助からないのよ」。

「イエス・マム!」まるで戦争映画の主人公。こわごわ雪原に出てみる、大丈夫だ、震えはこない。そう思ったとたん、走り出していた。思い切り駆け下る、体温を上げなきゃ。真っ暗闇の雪道を転がり落ちるよう、逃げるようにトリアンに到着した、深夜1時20分。

身をもって学んだ。

《装備は主催者の言う通りに》
《雨には濡れるな》
《吐く息が白いときは立ち止まってはいけない》

走り続けた、背中のザックにもう着替えはない、二度と震えるわけにはいかない。立ち止まることが恐い。

走り続けた、カラダを冷やさないように走り続けた。恐怖が背中を押す、あれ、オレってこんなに速く走れたっけ? シャモニにフィニッシュしたときは年代別20位まで順位を上げていた。生まれてはじめてのCCC/UTMB、こんなにもおもしろいものとは思わなかった。勝手にヒーローになっていた。

PROFILE

内坂庸夫

内坂庸夫 | Tsuneo Uchisaka

「ヴァン ヂャケット」宣伝部に強引に入社し、コピーライティングの天啓を授かる。「スキーライフ」「メイドインUSA」「ポパイ」「オリーブ」そして「ターザン」と、常にその時代の先っぽで「若者文化」を作り出し、次はなんだろうと、鼻をくんくん利かせている編集者。
 2004年に石川弘樹に誘われ生涯初のトレイルラニングを体験(ひどいものだった)、翌年から「ターザン」にトレイルラニングを定例連載させる。09年に鏑木毅の取材とサポートでUTMBを初体験、ミイラ取りがミイラになって12年吹雪のCCCに出場(案の定ひどい目に遭う)そして完走。(死にそうになったにもかかわらず)ウルトラってなんておもしろいんだろうと、13年、UTMBの表彰台に立ちたい、自身の夢をかなえようと読者代表「チームターザン」を結成する。
 「ターザン」創刊以来、数多くの運動選手、コーチ、医者、科学者から最新最良な運動科学を学び、自らの体験をあわせ、超長距離走のトレーニングとそのマネージメント、代謝機能改善、エネルギー・水分補給、高所山岳気象装備、サポート心理学などを研究分析する。ときどき、初心者のために「100マイルなんてカンタンだ(ちょっとウソ)」講習会を開催してる。

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