石川だけが駆け抜けていった
日本ではじめての100kmレースは2008年7月に長野県王滝村で開催された。多くの人は知らないだろうけど、このとき日本のトレイルラニングの歴史に2度とない出来事が起きている。鏑木毅、石川弘樹、そして相馬剛、この3人が揃って出場したのだ。
鏑木は前年2007年にUTMBを経験し、ウルトラの手荒い洗礼を受け車椅子で帰国している。頭の中は次回のUTMB表彰台しかない、(距離の短い)レースを走る必要はない。この「おんたけ100」出場は翌月開催されるUTMBの調整のためだったのだろう。
日本で最初のトレイルランナー,同時に最初のウルトラランナーである石川弘樹はレースに出ないことで知られていた。「ハッピートレイル」で全国を巡りトレイルラニングの普及に忙しかったし、レース開催でも忙しかった。そもそも国内にウルトラのレースが存在しなかった。レースを走らない石川が「おんたけ100」に出るというので、業界は大騒ぎになった。
そして、走れば必ず優勝。新進気鋭、ばりばり現役満載の相馬剛がこのふたりに挑むという。
誰がどんなレースをするんだ? どんな差がつくんだ? 最初からぶっ飛ばすのか、抑えていくのか? そして誰が勝つんだ? ほんとうの王者は誰だ?
この千載一遇の大チャンス、取材したのはいうまでもない、ドラマの一部始終は、大いなる時を超えて近いうちに再出版される(かも)。
レースはでっかいトレーニング
いよいよ本題。今回は「おんたけ100」のフィニッシュの各人のありさま。
でね。カラダにとってレースはでっかいトレーニングだろう。いつも以上に強く,速く、長く運動する。エネルギー消費も筋線維の損傷も心肺系、消化器系のダメージも大きい。ましてや100kmだぜ、疲労は桁外れ、とんでもないトレーニングをしたことになる。
トレーニングならウォームアップとクールダウンは欠かさないだろ。それぞれが必要な理由は説明するまでもない。朝の30分走、最初の一歩からキロ3分では走らない。走り出しはジョグからだ、当たり前だ。
そして30分経ったから、いきなり立ち止まって「はい、お終い」はないだろう。 練習の終わりにはクールダウンするよね。ゆっくりペースを落とし、最後は歩くくらいの速度にして、そして終える(マフェトンではWアップ、Cダウンにそれぞれ15分をかけるという伝統がある)。
さてさて。レースではスタート前にウォームアップできるからいいけど、さあ、問題はクールダウンだよ。レースフィニッシュでクールダウンしてる?
大きなトレーニングだから疲労や筋肉痛も大きい、達成感もあるかもしれない。ともあれレースではフィニッシュラインを越えたとたん倒れるか、立ち止まるか、のどちらかだ。ペースを落として走り続ける、クールダウンするやつなんかひとりもいない。
ただひとり石川弘樹は違った。鏑木毅はフィニッシュするなりぶっ倒れ、もうひとりのツヨシはうなだれて立ち止まり両膝に手を当てた。
石川は両手を掲げてフィニッシュするや、待ち構えるメディアに応じることなく、そのまま会場を駆け抜け、上着を脱ぎ(この日は暑かった)、裏の公園でペースを落としてクールダウン走をはじめた。
しばらくして石川は、いまでも覚えている、「いやあ、すみません、クールダウンしてました」と言いながら、フィニッシュ現場に戻ってきた。徹夜で100kmを走ったとは思えない爽やかな笑顔だった。
「レースには(にこそ)クールダウンが必要です」
石川は当たり前のことを当たり前に行っていた。そうだ石川はスポーツインストラクターでもあったっけ。
*ランニングは特にふくらはぎを弛緩収縮させる運動なので、一歩ごとに内側の静脈血管が圧迫され血液循環が活発になります(ふくらはぎは第2の心臓と言われるゆえん)。突然立ち止まると(クールダウンしないと)、それまでの勢いのいい血液循環で成り立っていた体調が、貧血、足痙り、吐き気など不調を起こしやすくなります。「クールダウンしない」は単に体内に疲労物質が取り残されるだけじゃないのです。