多数は正義、多数は力。
小さい頃から「多数決」が大嫌いだった。「みんな=多数」と同じ考え方を持った人たちが正しくて、異なる意見や考えは認められない通らない。個性を大事にしよう、なんて言いながら真逆を教えてる。
大人になってよーくわかった。多数は力だ、ときに正義になる。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の通り、法律や秩序は「みんな」の前では無力になる。ヘンだけどこれが民主主義というやつらしい。
A)
1人が赤信号を無視して車道に飛び出し、クルマに(急ブレーキをかけたけど間に合わず)接触してケガをした。悪いのはどっちだ?
B )
10人が信号無視、10人がクルマに(急ブレーキをかけたけど間に合わず)接触してケガをした。悪いのはどっちだ?
C)
100人が信号無視したら?
1000人が信号無視したら?
1万人が信号無視したら?
1000人なのか1万人なのかわかんないけど、「みんな」が無視すれば「みんな」はいい人で、むしろケガをした被害者。そこに信号を設置したことが不正で、悪で、反社会的じゃないか。都や県、国が悪者になってしまう。
悪行でも愚行でも多数は正義、多数は力。こうやって戦争も始まる。
グループで山を走る人たち、グループで街を走る人たち、グループでトレーニングする人たち。レースやイベントを企画運営する人たち、それに参加する人たち。
「みんな」と一緒だと楽しいし、安全だし、やる気も出る。だけど一度考えませんか。
「みんな」は善人のつもりでもその日、その時間、そこに集まり活動することで、誰かに嫌な思いをさせていないかな、迷惑をかけていないかな?
リーダーは仲間でない人の声、地域の声を聞くようにしませんか? たったひとりでもわれわれを不愉快に思う人がいるなら、話し合って理解を求めませんか。どうしてもダメなら、その場所で、その活動はやめた方がいいと思う。
どんなに仲のいいグループでも、そのときの「みんな」は正義じゃない、戦争をしかけているバカモノと変わらない。
あなたの山に「トレラン等は禁止』の看板が立ちませんように。
「おまけ」
人はひとりのときは(たいてい)人でいられる。人は集団でいるときは(たいてい)リーダーまかせの、無責任で愚かで、お行儀の悪い動物だ。