前例のないことを応援する人たち
オータニ・ショーヘイが米国で誉め称えられたのは、その素晴らしいパフォーマンス、謙虚で好感のもてる人柄だけじゃない。投げるだけ、打つだけと専業化している現代のメジャーリーグで「両方をやらせてくれ」と意志を通し、誰もやったことのない(ベーブルース以来とか)投打の両方を、しかも最高のレベルでなしとげたからだ。
誰もやったことのないことに挑戦する、前例のないことをする。アメリカはそんなとんでもないヤツを応援、支持するんだよ。そもそもダメモトで荒海を渡り、いくつもの艱難辛苦を乗り越えて新世界を開拓した人たちの血なのかも知れない。
彼の国でもっとも歴史のある100マイルレース《ウェスタン・ステイツ100マイル・エンデュランス・ラン/WSER》もまた、その前例のない、バカなこと、とんでもないことをした男とそれを応援した女が起源だ。
ゴーディ・アインズレイくん
1974年、20年も前から開催されている有名な乗馬100マイルレース(テヴィス・カップと呼ばれる)に馬なしで出場して、自分の脚と足で走っちゃったゴーディ・アインズレイ。そう、彼がWSERの直接のオリジン。
でさ。スタートラインに並んだときに、愛馬の具合が悪いので、しかたなく馬から降りて、自分ひとりで走り出した・・と思うかもしれないけど、まったく違う。行き当たりばったり出たとこ勝負で走ったわけじゃない。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)に通うゴードン(仲間からゴーディと呼ばれる)は71年と72年にテヴィス・カップに出場した馬好き大学生。73年にも出場するけど29マイル地点で馬は足を痛めてしまう、リタイア。このときのゴーディの体重は90Kgを越えていたから無理もないか。
ドルシラ・バーナーさん
でさ、テヴィス・カップを運営するウェスタン・ステイツ・トレイル財団のスタッフにドルシラ・バーナー(テヴィス・カップ最初の女子チャンピオンでもある)という女性がいる、「来年は馬なしで走っちゃえば」とゴーディをけしかけるのだ。乗馬レース運営のスタッフがそんなこと言っていいのか、もあるけど、そもそも馬なしで山の100マイルを走れって発想はどこから出てくるんだよ? トレイルラニングもウルトラトレイルレースも存在していない時代だよ。
すんなりそそのかされちゃうゴーディにもあきれるぜ。山岳悪路100マイルをワンデイ/24時間で走れる(可能性のある)馬はそういない。いたとしても簡単に手に入るものじゃない。だったら自分で走った方がカンタンだ(なわけないだろ)、体重90Kgのゴーディはロードレースのトレーニングを始める。乗馬とランのデュアスロンレースを走り、「キャッスルロック50K」にも出場しちゃう。すでにトレイルランナーだ。
そして翌年74年、1年におよぶ準備万端を整えて、ゴーディは他の馬とともにテヴィス・カップを馬なしで走り(よく出場させたよね)、みんごと23時間42分でオーバーンにフィニッシュする。あまりのうれしさに前転してフィニッシュラインを越えたという。
誰もやったことのない100マイルワンデイ。事前にゲーターレイド(当時は唯一だろうスポーツドリンク)を10本(合計9.5リットル)、コース前半52マイルに分散してデポしておいたけど、それでも電解質不足で一度ぶっ倒れている。WSERの暑さはひと桁もふた桁も上の暑さだ。
しっかり準備しておけば、人間だってワンデイ/24時間でテヴィス・カップ100マイルを走れるんだ。ここにゴーディが前例を作り、アメリカの100マイルレースのモノサシができ上がった。その裏に、バカなことをそそのかし、応援し、その挑戦を実現させてくれた女性がいたことを多くの人は知らない。
あいつにできるならオレだって、と翌年から馬なしでテヴィス・カップに参加する選手が増えてゆく。ついに1977年、乗馬大会からスピンアウトしたトレイルラニングレース《ウェスタン・ステイツ100マイル・エンデュランス・ラン/WSER》が開催される。数多くのレジェンドを育て、奇跡と神話を生み、アメリカを代表するウルトラレースになるまでそう時間はかからない。石川弘樹さんは2007年に出場している、9位だ。
でね、そんなわけでトレイルラニングには、反骨、掟破り、アウトローの臭いがするのさ。そもそも規則だらけの都市生活(と陸上競技)から飛び出して、好き勝手に野山を駆け巡るトレランって、そもそもがへそ曲がりじゃん。