ランニングの初期衝動〜オショーの場合
そう、あれは2009年11月
職場の先輩が、年が明けた2月末に開催される駅伝に出るメンバーを探していて、当時の部署で唯一の新人の自分にも声が掛かったのだ。
内心ではもの凄く嫌だったのだが、新人という立場上うまく断り切れず、いつの間にか参加することに。
何故そんなに嫌だったのかというと、走ることへの強い苦手意識があったからだ。
- 運動会の徒競走は毎度ブービー賞。
- 小学校のマラソン大会は辛くて苦しい記憶しかない(仮病で病欠多数)。
- 中高の部活のトレーニングでもランニングは苦痛でしかなかったからよくサボって怒られてた。
そうやって走ることをなるべく避けて生きてきたのに、まさか社会人になって走ることになろうとは…。
密かに失敗を祈っていたエントリーがその後、無事に完了(当時とても人気のある駅伝でエントリーは瞬殺だったにも関わらず!)。
仕方がない… 出ることになったからには、走る練習をせねば…。
兎にも角にも形は大事、ということで、その日の帰りに早速、ナイキのアウトレットショップに寄ってシューズとウェアを揃えたのだった。
本番まで約2ヶ月
自分がアサインされた区間は2区の4.8km。
早速、次の日から練習を開始したものの当初は一度に1〜2キロぐらい走るのがやっとこさ、というレベル。
とりあえず5キロを通して走れる様にならないと…と仕事終わりや休日に時間を見つけて、コツコツと家の近所を走る日々。
こんな感じでかなりネガティブな状態から走り出したのだけど、練習しているうちに走れる距離が日々少しずつ伸びていくことが嬉しくて、小中高時代のあの嫌な感じ(やらされ感)とは全然違うポジティブな感覚を少しずつ見出しつつあったことをよく覚えている。
そう、一人で気ままに走るランニングは思っていたよりもずっと(いや、かなり)楽しかったのだ。
そして、練習開始から1ヶ月ほど経った頃には5キロは普通に走れるようになっていたように思う。
閑話休題。
当時のことでやたらと強烈に覚えているのが、駅伝本番の約2週間前の2010年2月10日に発売されたこのTarzan。
「タイミング含めて、まるで今の自分のために用意されたかのような特集じゃないか!」と勝手に運命的なものを感じたのだった。
迎えた駅伝本番
ペース配分なんて全く知らなかったから、タスキを受けてからは練習でも走ったことのない程の速いペースで突っ込む。
当然のように途中で息切れして大失速。
後半はめちゃくちゃ辛くて、次走の先輩にタスキを受け渡した後、その場から20分ぐらい動けずに大会運営に心配される。
タイムは20分9秒。
勿論今までまともに計測したことなんてなかったから、区間タイムを見ても自分で良し悪しは分からなかったけれど、兎に角感じたのが腹の底から溢れる程の強い達成感。
「うおおお!全力で走りきったぞぉぉぉ!」
※心の叫びです
フラフラとメンバーの元に戻った後、先輩達から「何だよ、普通に足速いじゃん!」と褒められたこともとてもよく憶えている。
なぜそんなことが記憶に残っているかというと、走って他人から認められる経験をしたのが初めてだったからだと思う。
そう、走ることに苦手意識が強かった自分にとって、この駅伝の経験がランニングにおける人生最初の成功体験だった訳だ。
その後、ランニング初心者アルアルの雑な距離感覚でいつの間にか「5キロ20分で走破」という都合の良い丸め方がなされ、職場で少しチヤホヤされること1週間。
このチヤホヤ経験がいつの間にか「もしかしたら自分は結構走るのが速いんじゃないか?」という壮絶な勘違いをもたらすのであーる。
オショーの初期衝動は何だったのか?
こうやって振り返ってみると自分にとってのランニングの初期衝動は「全力を出し切った達成感」や「他人から認められたいという欲求(承認欲求)」だったのかな、とも思う。
そして、それは今の自分のランニングへの取り組み方とも強く繋がっている様な気がする。
いや、順番が逆か。
今、自分にとってのランニングが「達成感」や「承認欲求」を得るためのポジティブな成功体験ツールだからこそ、あの駅伝の経験をそういう風に解釈しているだけなのかもしれない(人間は過去の経験を、現在の自分に都合が良い様に物語るものだから)。
何れにせよ、もしあの時、駅伝に誘われていなかったら、自分は走っていたのだろうか?
走っていなかったとしたら、今とは全く違う人生になっていたんじゃなかろうか?(とりあえずこのアスリートブログは書いてないだろう)
いや、それともいつかは走り出す運命だったのだろうか?
タラレバは尽きないが、人生、何がターニングポイントになるかなんて、その時点では全く分からないもんだよな、と改めて感じるのである。
オショー