“目標”を立てることについて
週末のこと
先週末に開催されたKOUMI100に出場した友人たちの泥まみれでも嬉々としている様子がSNS上に流れてくる。
それらに挟まれて、2年前のハセツネゴール後の自身の投稿が思い出としてリマインドされてくる(あの機能は結構好きです)。
それらを目にすると、もし今の自分がそれらの“場”にいたらどんなレースを展開しただろうか?等と妄想が膨らむものだ。
そして、妄想の中での自分は大概“予想以上の大健闘”を演じていて(妄想は自由自在だ!)、それをイメージするだけで不思議とやる気が満ち溢れてくる。
以前も書いた通り、刺激はループする。
この週末に自分が“勝手に”もらい受けた刺激を、今の自分の取組に巧く置換していきたい。
オショーの取組•2020秋
さて、その“自分の取組”と言えば、先月以降、自主開催のフルマラソンでのPB更新を目標に設定してトレーニングに取り組んでいる。
こうやって“目標”を持ってトレーニングに取り組むのは、実は昨年のハセツネに向けたトレ―ニング期以来、約1年振りになるが、最近改めて感じるのが、“目標”を立てたからこそ、できることがある(普通に過ごしていたら決してやらないであろうこともできる)、ということだ。
例えば、この1ヶ月の間に週に1~2回を目安に、インターバル走などのスピードトレーニングを取り入れているが、当然ながら疾走している間は心底キツくて堪らないし(キツさを体験して身体を適応させるのが目的だから仕方がない)、次の疾走までのツナギの間は「嗚呼。。。あとXX秒経ったらまた走り出すのか。。。」とぶうたれている始末。
そもそも昼休みにスピードトレーニングが控えている日の午前などは仕事しながら昼のキツさを想像して妙な緊張感に包まれていたり(集中して仕事しなさい!)。
こんな話を非ランナーの妻にすれば、「なんでそんな思いまでしてトレーニングしてるの?ドMなの?」という蔑みの問いを誘発することは目に見えているが、別にドMな訳じゃない(Mっ気はあるとは思うけども)。
何故そんなキツいことに積極的に取り組んでいけるのかと言えば、それは達成したい”目標”があるからに他ならない。
これは当然ながらランニングだけに限ることではない。
そう、“目標”は、自分の行動に巧く前向きなバイアスをかける重要なツールになり得るのだ。
さて、自分の“目標”達成に向けた進捗状況は、というと実はあまり芳しくない。
現状確認として、PB更新ペースでの20㎞走を2回実施したが、何れも失敗。
要は、PB更新を達成するための心肺能力に未だ達していないのだ。
自主開催のフルマラソンは11月末に実施予定でいたが、残り一か月で実際に達成できるレベルまで身体を持って行けるのか、微妙なラインだろう、というのが今の客観的な自己評価である。
目標を立てることの重要性と…
さて、上で目標を立てることの重要性を述べたが、実はそれだけだと片手落ちだと思う。
目標を立てることと表裏一体をなすように大事なことがもう1つある。
それは、一度立てた目標を臨機応変に変更する柔軟性だ。
勿論、“柔軟性”という名のもとに、あまりに簡単に/頻繁に目標を変更していたら、それは最早“目標を立てる意味”を失ってしまう訳で、本末転倒である。
先ず目標を立てる際の大前提として、現在の自分の状況とのギャップなどをきちんと検討し、達成が最初から不可能な程には高過ぎず、一方で容易に達成できてしまう程には低過ぎない様な絶妙なラインの目標を設定すべきであろう。
だが、そうやって熟慮をもって設定した目標に向けて、実際に取組を開始した後は、現時点の自分と目標とのギャップを定期的に客観視しながら、目標の達成が想定より容易なのであれば上方修正し、その逆であれば下方修正する、という柔軟性を持つことが必要なことだと思う。
さて、話題が再び戻って自分の目標だが、目標タイムの下方修正はしない。あくまでPB更新は目指す。
が、実施時期の後ろ倒し(自主開催なのでw)も頭の片隅に入れつつ、先ずはあと1ヶ月足掻いてみようと思う。
オショー