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2020年11月19日

オショー オショー

35

“長時間露光”と“歩み寄れない男2人”

今回は先ずいのうえさんのお写真をご覧頂くところから。

photo:inoue_houchimin

先ずはよく写真に目を凝らして欲しい。

その細部まで。

この写真から何を感じるか?

この写真から何を読み取るか?

…はいっ(パチン👏)

プロカメラマン・いのうえとアマチュアアスリート・オショー

毎月お写真を受け取る度に感嘆しているのだが(役得!)、今回はいつも以上に「!!!」となってしまって、ついいのうえさんを質問攻めにしてしまった。

写真にあまり詳しくない自分は「手前の滝みたいに白くなってるのは何だろう?」と思いいのうえさんに聞いてみたのだが、この写真は長時間露光で撮影されていて、白く見えるのは川の水流や泡や波が露光で蓄積されてこの様に切り取られたそうだ。

そして、奥に人物(いのうえさん)が写っているが、長時間露光なのにブレていない。これ即ち、撮影中、いのうえさんはずっと静止していた、ということだ。

ちなみに、この素晴らしい一瞬を切り取るのに、なんと3時間程もかかったそうだ。

ぬおおおお、何という撮影魂や!これぞプロフェッショナル!

※尚、やっと納得のいく写真が撮れてカメラを回収に向かった時にいのうえさんは川にドボンしてしまったらしい(笑っちゃダメ)

野暮なことに本来は隠されている写真の裏側を暴露してしまったが(いのうえさん、すみません!)、それは以下の私の感想を共有したかったからである。

「なるほどなるほど素晴らしいアウトプットの陰には表からは見えない技術・苦労・努力というのはやっぱりあるんだよな。」

そんな一枚の写真への感想から「ああ、そう言えば、ランニングのパフォーマンスとトレーニングの関係もそういう部分は結構あるかもしれない…」等と、いつもの悪い癖で思考が飛び跳ねだしたので、今回はその勢いに任せてツラツラと書いてみようと思う。

パフォーマンスは、積み上げたトレーニングによって規定されるのか?

と問われると答えに窮する。

気持ち的には前向きにイエスと答えたいのだけど、現実にはそうとも言い切れず、やはりどんなにトレーニングを積み上げてもパフォーマンスが出ない時は、ある。

確かに良いパフォーマンスを出すには、トレーニングを積み上げる必要性はあるのだけど、積み上げたトレーニングだけでパフォーマンスが規定される訳では決してない。

必要条件ではあるが十分条件でないのだ。

で、冒頭の写真とその背景にあるストーリーを伺うに、これは写真家も一緒なのではなかろうか、と思った訳だ(プロとアマを一緒にする申し訳なさはあるのだけど)。

良い写真を撮るためには技術は当然ながら、それなりに苦労や努力(時にはドボンのハプニングも含めて)は必要だけど、一方で苦労や努力を重ねたからといって納得のいく素晴らしい写真が確約される訳ではないのだろう。

「だったら、その他に何が必要なのさ?」と問われるとこれまた答えに窮する。(この問いに完全に答えられる人はこの世に存在しないんじゃなかろうか)

答えには窮するけれども、勘違いしてはいけないのは、だからと言ってトレーニングを積み上げることを諦める理由にはならない(カメラマンが技術を磨くことをやめないのと同様に)ということだ。

更に、身体のパフォーマンスのこの扱いの難しさが、トレーニングを組む時に頭を悩ますポイントなんだが、その頭を悩ます行為自体の“楽しさ”こそが、僕がランニングを続けてこれた核心的な理由であることも間違いない。

良いパフォーマンスはあくまでアウトプットのバリエーションの一つであって、その時々で設定した目標アウトプットを達成するために、自分自身でトレーニングを工夫する余地/糊代がいくらでもあるところが、この趣味(単なる趣味以上の存在か)の醍醐味なのである。

さて少し話題が変わって、この醍醐味を最近度々脅かしてくる存在があるのだ。

「加齢」である。

と、言うのも最近以前との身体の違いを感じることが多いのだ。これまでの10年とは全く違う身体の反応に戸惑い悩む日々。

「その原因は加齢である!」とはっきりと答えが出ている訳ではないし、多分に複層的な原因に依るのだとは思うのだけど。

人間、答えがない状態が一番不安になるものだ。だから、とりあえず仮説として「加齢」をその原因に据え置いて、思考を巡らせてみているのである。。

ここまでの書きっぷりからもお解り頂ける通り、まだ自分の中で「加齢」はネガティヴなものとして捉えられたままである。

だが、周りの諸先輩方の振る舞いを見るにつけ、きっと「加齢」は敵対心を剥き出して対峙/退治するものではなく、足並みを揃えて巧く馴染ませていくもの、という予感もしている。

今の自分がすべき試みはその辺りなんだろうな、とあと一ヶ月半にせまりつつある今年の終わりを見据えながら夢想するのだ(そして一年は本当にあっという間に過ぎる)。

さて、加齢の話を持ち出すようになってから経験したことを共有して今日のブログは終えよう。

歩み寄れない2人の男

「加齢」の話を当事者の自分(おじさんA)よりも年上の人(おじさんB)に話すと90%程度の高確率で「何言ってんだよ、若いくせにそんな弱気な」と鼻で笑われる。

※ちなみに、自分より若い人にはあまり加齢の話をすることはないけど多分話している姿を見たら「はいはい練習不足の言い訳ですな」と馬鹿にされるに違いない(被害妄想強め)。

で、この関係性の面白いのは自分の年齢が上がっていっても、年上の人にはずっと同じことを言い続けられる、というところだ。

要は30歳の時に35歳のおじさんBに鼻で笑われたとして、自分が35歳になった時には40歳になっているそのおじさんBに結局また鼻で笑われる、と。

で、何故こんなことが起きるのか、と言うと、人間はその時点の自分の尺度でしか他人を測れない、ということなのだと思う。

具体的に言うならば、35歳のおじさんBは、同じ年齢であるはずの35歳のおじさんAとも違うし、同じ人物であるはずの40歳のおじさんBとも多分違う尺度を持っているのだ。

どうやら尺度というのは常にアップデートされていくものであり、過去に持っていたはずの尺度は当然ながら上書きされて消えてしまうようである。

さて、おじさんAとBの2人が歩み寄れないとしても全く気にすることはないのだが、この話を一般化してみようとすると少々問題が生じてくる。

それは「他人とは共通の尺度をほぼ持ち得ない」ということになってしまうからだ。

これは大問題だと思う。

何故かと言うと、異なる人間同士(自我と他者が)が互いに真に尊重し合うためには、共感の軸が必要だと思うのだが、互いの尺度が違うとなるとその軸はなかなか見出せない様な気がするからだ。

うーむ🤔

これは世界平和に関わる大問題な気がする。(最近世界で分断が進んでいる様な気がするのは、まさか僕の加齢のせいなのか?)

どうしたものか…

次回、オショー最後のアスリートブログでその辺りを掘り下げる試みをしてみよう。

ちす!

オショー

PROFILE

オショー

オショー | O-show the ripper

切り裂き和尚 a.k.a. O-show the ripper|Father, Bookworm, and Elevation Junkie.|Gコ山TRC所属。
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Great Cossy Mountain >>> http://gcm.thebase.in/
STRAVA >>> https://www.strava.com/athletes/1513063

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